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ことば選びの指標と極端なことば

文章を書くうえで、「ことば選び」の影響を受けないところはほぼありません。それは言うまでもなく、私らはことばというちいさな単位の積み重ねを頼りに文章や書き手の情報を理解するからです。

では、ことば選びはどうやるのか。ただただ殴り書きするだけではだめなのか。片手に類語辞典を開きながら書くべきなのか。常に何通りかの言いかたを検討すべきなのか。いろいろな考えがあると思いますが、私のなかでは「ライブラリと言語セット」が基礎にあたります。

ことば選びのライブラリとは?

ライブラリというのは図書館のことですが、すこしさかのぼるとラテン語の「リブラリウム librarium」にあたります。リブラリウムは本を保っておく整理たんすのことで、この「整理たんす」のニュアンスが大事です。

芋づる式といえば、よりわかりやすいかもしれません。ことばというのは続々と引き出されます。それは(思ったよりも)整理整頓されているからです。整理されていなければ、続々と編みつづけるのはむずかしいでしょう。こういうときはこういうことばだ、という一式を整理たんすで区切って確保しているようなイメージです。それをライブラリと言い、中身を言語セットと言います。

言い換えれば、書き手と読み手のあいだには見えないお題があって、そのお題に沿うようなことばが率先して接続していくということです。

たとえば、ひとりのライターとしてできるだけ公平に飲食店をおすすめするときは、「この店ならではの味」とか、「中でもこのメニューは必食です」みたいな読み込みにくい表現で中途半端に絶賛するしかありません。なぜならば、味や雰囲気などの体験したひとしかわからないことをできるだけ中立的に書きつつおすすめしようと思うと(いまのところ)語彙が枯渇しているライブラリしかないからです。

より語彙の不足しているのは「マッサージの感想」のライブラリで、おそらく「痛い」「気持ちいい」「ちょうどよい強さ」「あーそこ」ぐらいしかないように思えます。中国語だと「痠(suān:スワン)」という語彙もありますが、日本語だと「いたきもちいい」的な感じですね。「剛剛好(gāng gāng hǎo:ガンガンハオ)」とすれば、「(効いているツボが)そこ、そこ」でしょうか。

あたらしいライターが既存のライブラリを豊かにする

上に記したような「既存のライブラリ」を覚えて使いこなせるようになると、それっぽい文章を書けるようになります。ただ、ほとんどのジャンルや業界もライブラリに手入れをする資源がなく、目の前のことに追われてしまっているのが現状です。

グルメ雑誌で言えば、「外カリ中フワ」が生み出されてどれぐらい立ったかわかりませんが、いまだにこれより的確な表現が追加されていません。それぐらい優れた表現だったということでもあります。そうかと思えば、滝沢カレンさんのような独自開発のライブラリが出てきて、すくなくないひとが彼女のライブラリを借りてクローンをつくってあそんだりしています。そのなかでも「生姜はアクセサリーをつける気持ちで」や「そんな唐揚げの物語でした」みたいな表現は、彼女のライブラリを飛び出してグルメ業界で共有されて定番化してもおかしくない汎用さがありますね。

ほかにも、以前にコールセンターからライターに転職したいというかたからトライアルの添削依頼を受けたのですが、行動喚起のパートで「差し支えなければご体験なされてみてはいかがでしょうか。」と表現しているところがあって、コールセンターらしい無難さが出ていると思いました。「ですます調で書きなさい」というオーダーだったので、ていねいに書いたそうです。

あるいは、オタクには「強調表現」のライブラリがあるのですが、こちらはどんどん開発されています。かつての「萌え」は聞き馴染みがあるかもしれませんが、「天使」とか、「拝む」とか、「控えめに言っても最高すぎる」とか、「推しが尊い」とか、「(え、待って)しんどい」とか、「実質無料」とか、「実質おごられ」とか、「語彙が死んだ」とか、「顔面力53万」とか、「通帳ダイエット」とか、「無限に食べれる」みたいなパッション志向の表現が増えてきました。

そういうあたらしい表現をもってくるのは、いつだって「新人」です。なぜなら、新人というのはあたらしい表現をもってくるひとのことだからです。トートロジーです。

どうやってあたらしい表現を開発すればいいのか - 指標をあやつる

ことば選びにおける指標を追究していくこと、あるいは複数の指標をかけあわせることで、あたらしい表現の方向性が見えてきます。

たとえば「愛しています」ということばを手入れしてみましょう。ハンズオンです。まず「愛しています」というのは、私の感覚からすると《ストレート》です。単刀直入な印象ということです。なので、まずは《直球 - 変化球》という指標を立ち上げることができそうですね。愛の告白における直球が「愛しています」です。変化球はどうしましょうか、「月が綺麗ですね」にしておきましょう。

愛してます 月が綺麗ですね

ここにあたらしい指標を追加してみましょう。思いつきで《強調 - ぼかし》にしてみます。直球かつ強調、直球かつぼかし、変化球かつ強調、変化球かつぼかし、というやばそうなよっつの指標が見えてきます。図を埋めてみますね。

愛してます 月が綺麗ですね 世界の誰よりもあなたのことを愛しています す、す、スイカ! 蕩れ 味噌汁をつくってほしい 同じ苗字になりたい
「愛の告白」におけるマトリクス図(強調-ぼかし | 直球-変化球)

異論もあるでしょうけれど、だいたいこういう感じでしょうか。指標というものがなんのことなのか掴んでもらえるとうれしいです。これを繰り返すことで、どのジャンルの、どんな指標を増やしたいかというトップダウンで語彙を造り込んでいくことができますね。

「極端」なことばのあつかい - ことばの飛躍力の功罪

どの指標においても、極端なことばには魔性の力があります。たとえば、「世界の誰よりもあなたのことを愛しています」という極端なことばは、じぶんの「好き」を加速させてくれるし、それにともなって告白という行動を強化してくれます。そういう効果は認めつつ、裏を返せばことばに踊らされることもあるということです。

つまり、じぶんの行動が「世界の誰よりもあなたのことを愛しています」に見合わなくなってきたり、ほかの言動と釣り合いがとれなくなってくると、途端に「大嘘」のレッテルを引き受けなければならなくなります。都落ちです。このことばを使ったひとの「好き」という感情は、ほんとうはもっともやもやしているもので、割り切れなくて、衝動的で、一切の共感を受け付けないものだったかもしれません。そういう複雑な感情が処理しきれなくなったからこそ、はっきりしていてわかりやすくて共感度の高い極端で強いことばに頼ったのかもしれないと思います。

なぜ極端なことばが危ないのかといえば、ことばがどこまでも行けるからです。ことばの飛躍力によって、ないものを生み出すこともできるし、できないことを信じさせることもできるし、事実じゃないことを事実にしてしまうこともできるし、傷つけられたり癒されたりします。じぶんという人間を何倍増しに思わせることもできます。作者と作品を別々に考えるというのは、そういう意味で落胆したないためのマナーでもあったわけです。

着飾るな、事実だけを書け、という緊縮的な意味ではありません。ことばの自由さが文章の自由さにつながっているので、その言語運用は創作的でたのしいものだと思います。その創作過程で、じぶんの用いることばがどんな指標のどんなポジションに位置しているのか、じぶんのことばを推敲するさい、あたらしいライブラリや言語セットを追加するときの役に立てばうれしいです。

Written by Aisaka, Chihiro
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