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センスという標識の有無と発生に関する一般知について、あるいはセンスを求められたときの対応

ライターズドキュメント
棚は「本との出会い」を念頭に設計されている。1タイトルあたり1冊を原則に3万冊がギュッと詰まった選書室だ。選書するスタッフは各テーマに深い愛着と知識を持った人たちである。「演劇の棚は劇団で俳優をやっているアルバイトスタッフに任せていますし、建築の棚は建築学科の学生がアルバイトで入ってくれています。ふつうの書店では到底置くことのできない高額な専門書もうちでは認めています」その結果、一般書店では10年かかっても売れないような3万円もする美術書が、棚に並べた翌日に売れた。そんなことが何度もあった。
スペースに価値をつける「有料書店」という取り組み-東京・六本木「文喫」 | nippon.comより)

文喫のとある書店員と話したときに、「専門知」のための棚があることのこだわりを語ってくれました。専門知を大事にしない風潮に対して、並並ならぬ気持ちを抱いていました。就学構造的に「大学進学」があたりまえになったこともあって、それぞれの分野で専門的な知識が不可欠になって、アクセスニーズが乗数倍に増えてきた背景もあると思います。

その一方で、クリエイターのあいだでは、どちらかというと専門知ではなく「センス」を求められる場面のほうが目立つようです。noteを見ても、「#センス」について書かれた記事はたくさんあります。みな一様に困っていて、それだけ注目のスキルのようです。

「#センス」の新着タグ記事一覧|note ――つくる、つながる、とどける。
https://note.com/hashtag/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9

求められるから注目するし、クリエイター自らが言語化しようと努めています。「センスはジャッジしてきた数だ」とか、「センスは努力の賜物だ」とか、「センスは知識の組み合わせだ」とか、そういう着地が好まれて読まれている現状です。

センスというのは、かんたんに言えば「正解(としておきたいこと)」のことです。ところ変われば正解が変わるのとおなじように、ところ変わればセンスも変わってしまいます。『センス入門』の冒頭で、松浦さんは「『センス』と言われたら、手も足も出ない気持ちになるのは、僕だけでないでしょう。」と語りかけていますが、この「手も足も出ない気持ち」の正体は、正解としておきたいことをそれぞれがそれぞれの手段で奪い合っているからだと思います。この記事も漏れなく正解としておきたいことを書いています。

「センスがないね」ということばにひどく傷つくのは、不正解の烙印で殴られるからです。「センスがないね」と言われないために、「センスを磨く」ひとたちがいるんですね。そうなると、「センスを磨く」というのは「センスがないね」を追従することなので、常に傷つくコースに突入します。先輩たちが先輩風を吹かすために「センス」ということばで後輩を傷つけることがよくあります。不要な追従を誘う半透明な悪意をともなったマウントです。

とはいえ、センスは求められます。正解を求められているだけなのですが、その段階で正解はまだありません。センスが求められるときのセンスというのは、未確定正解のことです。だから「正解」を教えてあげるのが、対応というものです。ここにパターンがあって、ひとつは「正解をつくって教える」こと。もうひとつは「正解をよそからみつけてきて教える」ことです。

スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションをみて、おおくのひとが彼の「センス」に惚れたわけですが、冷静に考えてスマフォがiPhoneである必要はとくにありません。ただ、あのプレゼンテーションをみてしまったら最後、おおくのひとはiPhoneが正解に思えてきます。なぜならば、時代は常にあたらしい正解を求めていて、たくさんの同時代のひとたちを「あたらしくてすばらしいものだな」と説得できたからです。これは「正解をつくって教える」という稀有なほうのケースなんですね。

当時のジョブズは「こだわり」と「スタイル」を貫くことで「一般論」をつくるのに成功しました。これがセンスとなったので、「センスがないね」と言われないためにはiPhoneをいちはやく購入して、センスを磨かなければならなかったわけです。「いまいちばん旬のスマフォといえば?」という問いに対して、「iPhone」と答えるのが正解であり正当だったということです。

「センスが良い」というのは、この正解を常に追従できることです。クイズみたいなもので、「広島県民の応援している球団といえば?」なら、「広島東洋カープ」と答えることができるという話です。

「いまいちばん人気のある男性ポップスシンガーといえば?」なら「米津玄師」でしょうか。「いまいちばん旬の純文学作家といえば?」なら「今村夏子」でしょうか。「USJが復活を遂げた最大の理由といえば?」なら「森岡さんの戦略的確率思考」でしょうか。それで、いまいちばんイケてるスマフォってなんなんでしょうね、私は「センスがないから」わからないです。

「そんなのぜんぶ主観じゃん」とお思いになるかと思いますが、この「一般的に共有された主観」をつくれるひとが時代の正解者になれるわけです。ファーストセンスマンです。

ここで大事なのは、その主観を追従できるセカンドセンスマンです。ジョブズが圧倒的なセンス形成力で正解をつくったあと、しっかりそれをキャッチアップするひとたちが「あたらしく生まれたセンス」をひろめるロビー活動をします。このロビー活動をしていれば、ひとまず「センスある側」にいられるので安全地帯なんですね。

ビジネスの世界では、この「センスある側」からの指導を求める企業がたくさんあります。なぜならば、ビジネスの経営者というのはお金を貸してくれている人たちによりよい正解を選ぶ約束をしてしまっているからです。ただ、経営者が自力で正解を選びつづけるのはむずかしいので、自力でやりつづけると不健全になっていきます。だから「いまは米津を聴けばいいんですよ」とセンスあるひとに教えてもらうのが、経営の健全化に直結するんです。お金を貸してくれている人たちに「いまちゃんと米津聴いてますからね」と胸を張れるということです。

くだらないですよね、でも、くだらなくていいんです。そうやって正解の手札をみんなで回しあって、社会というのは成り立っています。しかも追従するかしないかはおいといて、正解があるってやっぱり安心するんです、私もあなたも。カラオケランキングで「多種多様な楽曲が多種多様なひとたちに幅広くどの曲が突出するといったことなく歌われました」では、気持ちがふわっとしてしまうんです。そこは嵐とか、あいみょんとか、AKB48とかが突出して「第1位」に君臨してカラオケ界を治めていてほしいんですね。第1位があるからこそ、ランキングがあるからこそ、「俺はいまだにBUMP派だ」とか、「私だったらデビュー当時から大森靖子」とか、じぶんの立場を表明する意味が生じます。ミーハーの顔をしたり、ミーハーじゃない顔をしたり、それを使い分けたりすることで、社会的なじぶんをつくっていけるわけです。

おおきく脱線しましたが、要するに、センスというのは「一般的な正解の標識が掲げられているほうを見分ける能力」のことです。どこまでいっても一般知なんです。ただ、一般的な一般知とちがってむずかしいのは、「これが旬ですよ」と標識がすでに出ているときもれば、なんにも標識が出ていないときもあるところです。

たとえば、近所にタピオカ専門店ができたのですが、私の近所ではもう流行ってなかったんです。出店したひとはびっくりしたと思います。数カ月前の我が町では、超遅れてタピオカブームが来たばっかりだったのですから。もし我が町の掲示板に「本日のタピオカブーム度」という標識があって、それが日に日に下がっていたなら納得ですが、タピオカブーム度という標識なんかなく、ブームは無標のまま今日も明日も更新されます。

この「無標」について詳しくなれるなら、相談役としてお金をとることができます。つまり、どこかの業界や界隈でセンスあるひとになりたければ、関連企業のプレスリリースに目を光らせて、情報誌をくまなくみて、業界のこぼれ話をひろって、関連動画をすべて視聴して、SNSで関係者の発言をおいかけて、個人のブログを読みあさることが欠かせないでしょう。そういう努力を継続できれば、そこそこ「無標」が見えるようになります。広島では広島東洋カープが応援されていることがわかるようになるし、若者が米津玄師を聴いているのがわかるようになります。経営者も無標の見えるあなたを離さないでしょう。経営者には有標しか見えず、その有標がどれほど信頼できるものなのかもわからないのですから。

最後に私たちの話をしましょう。ラゴンのライターに向けてです。

おおくの場合、センスはコンセプトに書いてあります。『ラゴン・ジュルナル』におけるセンスというのは、生活の自己表現というコンセプトのことです。ざっくり言って、生活を表現できていればセンスがいいわけですね。SEOの専門知は要らないし、ハウツー記事の大量生産能力も求めていません。科学の専門家でなくともいいし、ていねいな暮らしを極めていなくて構いません。

ただ、センスという一般知のほかに求めている「専門知」があるとすれば、それは表現者であることだと思います。他人の正解やコンセプトに追従するのではなく、じぶんの正解だと思うものを込めてほしいと願っています。それはまったく失礼にあたりません。むしろ、私が正解だとしたいものと、あなたが正解だとしたいものの両輪でなければ、このメディアは成り立ちません。なぜならば、コンセプチュアルなものだけでは「かたち」にならないからです。

コンプセトに共感したうえで、それでもやっぱりじぶんの正解と思うものを表現できるあなたが必要なんです。そういう意味で衝突することもあるかもしれませんが、なにとぞよろしくお願いします。

あいさか

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author