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素手なるインプット - 技術のおおくは素手から入ってくるようになっている

ライターズドキュメント

手袋では掃除がうまくならなかった

ラグジュアリーホテルで清掃のバイトをしていたとき、手袋をはめて作業をしていいよと親切な指令を受けたことがあります。

最初はありがたいと思いつつ、手袋を装着すると、当たり前ですが素手が奪われます。化粧台の垢を浮かすスポンジの感触も、ゲストの髪の毛を吸い込むバキューマーのプラグを出す力加減も、サウナ室をこするブラッシングの踊りかたも、グレイチングのほこりを効率よく拭き取る角度も、手袋がインプットしてしまい、私の手にはあまり残りませんでした。

これから掃除の技法や道具を身に付けなければならないのに、8時間も熱心に仕事したあとの手には、手袋ごしの、低解像度の、身に覚えのない、ぐにゃっとした経験だけが残るばかりだったと思います。手袋は不慣れで不快な情報を取り除いてくれる代わりに、インプットそのものの質を窯変させてしまっていたのだと気づきました。

ライターにとっての素手のインプットとは?

インプットと手袋はトレードオフであるならば、ライターにとって、手袋をつけない素手のインプットとはなにかというのをあらためて考えてみようと思います。それは、端的に言えば「実力が出るもの(ごまかせないもの)」を書いてみることが素手のインプットにつながるのではないかといまのところ感じています。では、実力が出るものとはなにか。

無数にあると思いますが、私のおすすめトレーニングは「ちがうと思っているもののちがいについて書く」です。

抽象的でわかりにくいと思うかもしれません。でも、ほんとうになんでもいいんです。「父」と「母」がちがうと確信しているなら、そのちがいを書くだけです。父と母のちがいはなんですか。哲学的な問いではなくて、じぶんの認識に対してじぶんが説明しなおすことです。

近いけれどちがうものの差異を言語化できるか

はっきりちがうもののほうが初級ではおすすめですが、よりハイレベルなところに手をかけたいのであれば、近いけれどちがうものを取り上げてみるとよいでしょう。たとえば、「赤」と「紅」はどうちがいますか。「関係」と「関係性」はどういうときに分けますか。「文才」と「文章力」はどう異なるでしょう。

差異の言語化というのは、どこまでいっても訓練できるすぐれた教材です。だれかの意見は聞かずにやるといいですが、だれかの意見を聞いた後でもぜんぜんだいじょうぶです(いくぶん影響されますが)。むしろむずかしいなというときは、意見を聞いた上でじぶんなりの認識を描写してみるといいかもしれません。

このトレーニングをするなかで、いまのじぶんが書ける範囲というのが体感できるようになります。失望に値する結果であったとしても、同時に信頼に値する結果でもあるわけですね。じぶんが与信できるじぶんの技術的な結果というのは、これからずっと財産になります。

ほかに、校正という問い合わせ(校正的インプット)

それと、校正も「素手なるインプット」の練習になります。『ライターに向いているかどうか、じぶんに向けた問いがインプットにつながる』で書いたように、ライターとして書くということはライターとして読まれることでもあります。

ライターとして書くということは、ライターとして読まれることでもあります。書くことと読まれることは裏返しで、読まれるということは読むひとのためにひとつひとつのことばが存在するということです。それは非常に丹念な作業で、すでに常に「まだ書かれていないことをまだ読んでいないひと」のために書くことになります。その野良仕事をやりたいと思うかどうか、そこが唯一のポイントではないかと私は思います。

書くと読まれるが表裏一体であるならば、読まれる練習が書く練習にも直結します。校正という後工程から、書くという自工程をとらえ直すということです。

校正は技能的なので、できるひとに頼みこむのがいちばんおすすめです。ただ、金銭的にむずかしいこともあるので、ここではスリム化して考えましょう。つまり、「読者として問い合わせつづけること」を校正的インプットとします。

いちいち説明責任を追及するわけです。どうしてそういう書きかたになったのか、どうしてその書き出しがいいと思ったのか、どうして文を短く切ったのか、どうしてここで改行したのか、どうして表記にこだわったのか、どうしてそこに読点をいれたのか、どうしてその括弧をもちいたのか。問い合わせ得ることは山ほどあって、それにひとつでも嘘なく答えてみようとすることが素手のインプットだと思います。

もうひとつ、いわゆる写経の剪定作業

あとは写経もいいでしょう、他人の文章を書き写すことです。

文章はリニアなので追いかけることができます。じぶんの認める書き手、だれかがおすすめしていた文筆家、たまたま見つけた記事、なんでもいいので追いかけてみると疑問がたくさん浮かんでくるはずです。句読点の位置、漢字やひらがなの表記、語順、言い回し、ことば選び、オープニング、エンディング、中だるみの処理、効果的な表現など多様な情報が一挙にディスクローズされるので、あとは受け取るも自由、加工するも自由、スワイプファイルに取り込むのも自由。その剪定作業がインプットです。

参考書籍

最後に、今回の参考資料をあげておきます。ほかにも「こういうトレーニングをすると実力が出るよ」というのがあれば教えてくださいませ。

The truth is that the eyes and the fingers—the bare fingers—are the two principal inlets to sound practical instruction. They are the chief sources of trustworthy knowledge as to all the materials and operations which the engineer has to deal with, No book knowledge can avail for that purpose. The nature and properties of the materials must come in through the finger ends. Hence, I have no faith in young engineers who are addicted to wearing gloves. Gloves, especially kid gloves, are perfect non-conductors of technical knowledge. This has really more to do with the efficiency of young aspirants for engineering success than most people are aware of!

ほんとうのところ、眼と指、それもなにもはめていない指というのは、なににも先立って実際的な知識を仕入れてくる入り口である。技術者が材料や操作をあつかうために与信すべき知識はそこからやってくるし、書物の知識がまかなってくれることなどはありえない。材料の性質や特徴というのは、指先を通じて取り込まれる必要がある。だから、私は、若い技術者で手袋にこだわるようなやつのことも与信しない。手袋、とくにキッズ用の手袋はテクニカルな知識を完璧に遮断してくれる案内人である。このことは、たいていのひとが思っている以上にずっと、技術的な達成を目指している若いひとの能率に関わっている話なのだ! (James Nasmyth『Engineer, An Autobiography』より)

Written by Aisaka, Chihiro
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