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他者の親ガチャ不発が遠くに感じられる

人生はすごろくとはだれの見つけたアナロジーでしょうか。哲学に触れて、偶然性と必然性について考えるようになって、星のことばを覚えて占い師にもなってみて、それでもよくわからない、運勢とか運とか。

じぶんの不運を平凡な文脈で言い出せる、これはとてもしあわせなことだと思います。親ガチャということばがあるおかげで、その不運の一部を切り出しやすくなったのなら、それはそれでいいことだと私の目にはうつります。

一方で、そのひとらが「親ガチャ外れた」と嘆くときの感情は、おそろしく遠いところにあるということに最近気づきました。

うちの家庭環境はめちゃめちゃハズレ寄りですが、私は「外れた!外れた!」とはあまり思いません。金も、文化資本も、知性も、愛情もなかったけれど、母のほうの祖母がとても豊かでとてもあたたかいひとで、あのかたに代理で育ててもらえた時期が一瞬あったからこそ、大ハズレだと責め立てるほどでもないように思えます。父のほうの祖母は、精神科主任の夜勤話とパチンコ話ばかりで、それはそれで話を聞いているだけで社会経験になりました。

親の先にある人間関係のなかでラッキーな部分があったからこそ、出生や生育的なことがらにこだわらず、昨日今日のじぶんの獲得的な振る舞いを見つめる日々を送れています。そういう意味で、ハズレのなかでも恵まれていたのかもしれません。親ガチャには外れたが、まあ、いまのところ私次第だわ、というポジションにあります。そして、この「私次第」という発見が、今回の発見につながりました。

親ガチャということばが必要なひと、そのひとが親ガチャということばを口にするとき、そこには「不運」や「恵まれなさ(への不安)」以外の要素があるような気がしています。ガチャであることの射程をすこしひろげてみると、「私次第であることの孤立性」が見えてきます。

すごろくは他人を巻き込んだり、他人から巻き込まれたり、人間関係を未来に伝達しながらゴールに向かっていきます。私はたまたまいい目が出て祖母に出会えて、人間のあたたかみを教わりました。ガチャは、出るか出ないか自分次第。そこには人間関係がない。未来に渡す不確かなものもない。じぶんにSSRが出たからといって、ハズレのひとをカバーしたりキャリーしたりする必要も義務も義理もない。再分配もない。敗者復活戦もない。もし親ガチャ外れ人生がすごろくだったら、プレイヤーはじぶんたったひとりで、どのマスにも「親ガチャに失敗したので」がついていて、最初の失敗が最後までついてまわって、何マスか戻されたり、就職に失敗したり、恋愛に失敗したりするのでしょう。

人生はすごろくだと楽しめるひとと、人生はどうせ再帰的なすごろくだと嘆くひとのふたつにわかれる。身体ガチャ、容姿ガチャ、親ガチャ、それらの再帰性には呪力があって、すべてのインプットとアウトプットが最初の引き(の当たり外れ)で決まってしまうものです。それ自体が自分次第なのに自分次第から抜け出せなくて、そういう構造まで感じ取って「ガチャ」のアナロジーなんだろうと思います。

自力救済しがたい他者のガチャ不発の孤立感覚について、私にできることはあんまりないかもしれません。せいぜい、私も親ガチャ失敗したけど、人生はそんなに再帰的じゃないかもね、という姿を見せることぐらいでしょうか。

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author

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