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ショックのなかで考える勇気 - たったいま起こりたてで反応することと熟考することの両立

ツイッターのタイムラインで、若松さんのツイートを拝見して「言葉が、あまりに現状と深く結びついている」という分析と言語化に口の中に緊張が走ったような気がしました。

ふだんから「考える」ことに特化しているひとや、「考える」ことを意識しているひとたちは、現状の絶句性に「ことば」が頼りなくなってしまってなにかしらの不全感をいだいていることだと思います。

たとえば、政治家やリーダーに対して、筋違い、的外れ、没交渉、言い逃れ、事実無根、ヌルヌルうなぎ論法、説明不足、自家撞着、非道徳、不適任、不条理、無義道、不見識、不届き、政治音痴、トンチンカン、時代錯誤、厚顔無恥という思いをいだくでしょう。

あるいは、隣で大騒ぎしている市民に対して、悲劇、犠牲、苦しみ、暴論、暴走、お粗末な俗論、理不尽、有害、弊害、無知、無分別、絶望、扇動、誤報、誤解、決めつけ、不適切、飛び火、巻き添え(側杖)、同調圧力、負の連鎖という思いをいだくこともあります。

こんな状況で「考える」というのは、どこまで可能なのでしょうか。つまり、「考える」というのは、どこまで私を生かしてくれるでしょうか。


『Quelques réflexions blasphématoires: Islam et Modernité』(2015)で、哲学者のジジェクは以下のように語りました。

C’est maintenant, alors que nous sommes tous sous le choc du massacre qui a eu lieu dans les bureaux de Charlie Hebdo, qu’il nous faut avoir le courage de penser. C’est maintenant, et non plus tard, quand les choses se seront apaisées, comme essaient de nous en convaincre les adeptes de la sagesse bon marché : ce qui est difficile à concilier, c’est justement réaction à chaud et l’acte de penser. Penser la tête froide, une fois que tout est fini, ne produit pas de vérité plus équilibrée, ça ne fait que normaliser la situation en nous permettant d’éviter tout ce que la vérité a de tranchant.

(シャルリーエブド局で起きた襲撃事件にショックを受けた今だからこそ、「考える勇気」が必要である。それは今であって、後ではない。事件が落ち着いたときに、いかにもな知恵しかもたないフォロワーたちが「(事件に対して)たったいま起こりたてで反応することと熟考することは両立困難だよね」と考えを強要してくるが、冷静な頭で考えてもすべてが去ってしまっていて、よりバランスのとれた真実が出てくるわけではない。真実の鋭い部分をひとつも見なくていいというのなら、それは別に異常事態などないと言っているものである。)

シャルリー・エブド襲撃事件 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%96%E3%83%89%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

むかしからでしょうか、冷静なひと、クールなひとがかっこいいと思っていました。会社の危機にこんな冷静な対処をしたというエピソードや伝説が好きだし、そういう経営者やリーダーに憧れもします。一方で、逆に考えて、騒ぎ立てているひとにはなりたくないと思っていました。そのせいのか、私のなかにも「たったいま起こりたてで反応することと熟考することは両立困難 ce qui est difficile à concilier, c’est justement réaction à chaud et l’acte de penser」という価値観がありました。ジジェクは、その半透明な正常性バイアスを突いてきます。

「騒いでいるひとたちになりたくない」という気持ちは、「なにも言わないでおこう」につながり、いともかんたんに「なにも考えないでおこう」に直結していきます。状況に対するネガティブな適応が思考の出口を貧しくさせています。極端になりたくないがために、またべつの極端になっているじぶんがいます。どちらかしかないと思い込んでいるじぶんがいます。どちらもできるし、どちらもできてやっとじぶんなりのバランスが保てると思います。それをジジェクは「考える勇気(ル・クルージュ・デュ・パンセ)」と表現しました。


SNSで政治のおろかしさを延焼させるのは趣味じゃないのでやりませんが、現状に対するじぶんなりの「反応」と「熟考」を両立して、「あまりに現状と結びついたことば」を取り戻したい。そういう意味で、首相官邸にメッセージを送る運動がSNS上でひろまっているのは、すごくちょうどいいなと感じました。反応しながら、考えることもできる。なにが正解というのはないと思います。じぶんにとっての考える勇気を見つけたいです。

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author

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