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カメラとちょうどよさ、私の場合は「K-50」だった

Note

この記事は「愛用のカメラについて語ってほしい」というお題をもと、2017年2月にフォトマガジンで掲載された記事の再編集・再掲です。

こんにちは、逢坂千紘(あいさかちひろ)です。

今回は、なにかとマウント合戦になりがちな「カメラ」について、それぞれのちょうどよさを追い求めるといいんじゃないだろうか、という記事を書きました。カメラ沼のかたも、そうでないかたも、どうぞお付き合いくださればとさいわいです。

カメラを手に取る理由は千差万別カメラには、無際限の《ちょうどよさ》があります。

2016年8月20日のNHK教育テレビ『SWITCHインタビュー 達人達』で、「最終的に眼がカメラだったら最高」と言い放った写真家は、富士フィルムの商品「写ルンです」で撮り続けているそうです。

SWITCHインタビュー 達人達(たち) 「松坂桃李×奥山由之」
https://www2.nhk.or.jp/archives/chronicle/pg/page010-01-01.cgi?hensCode=000020370412201001735

あるいは、「#ファインダー越しの私の世界」という人気のハッシュタグを生み出す写真家もいます。ほかにも、カメラで視ることには興味を持たず、ひたすらレンズの付け替えを楽しむガジェット派のひともいれば、隠し撮りで人間の素性に迫りたいというひともいるでしょう。

#ファインダー越しの私の世界
https://twitter.com/search?q=%23%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E8%B6%8A%E3%81%97%E3%81%AE%E7%A7%81%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C&src=typeahead_click

知識のマニアックさをたのしむひと、カメラを出かける口実にするひと、カメラブランドへの愛を磨くひと、身の回りの日々を記録するひと、芸術表現を企てるひと、セルフイメージをきわめるひと、暗室作業や現像をたのしむひと、地球を観察するひと、写真を贈りものにしたいひと、カメラ女子に変身したいひと、おなじ趣味で友だちを増やしたいひと、他人の作品を批評したいひと、コンテストで認められたいひと、個展を開きたいひと、ことばも音も使わずだれかを感動させたいひと、稼業にして食っていきたいひと、機材を操るのが好きなひと、機材の限界に挑戦したいひと、偶然と出合いたいひと、構図の比率や距離の計算に心躍るひと、「せっかくだから一枚撮るよ」と言いたいひと、「写真を撮るのも忘れるほど美しい景色だった」と言いたいひと、「君は写真言語のわかるレタッチャーだね」と言われたいひと、じぶんの見ている世界を豊かにしたいひと、失われてゆく風景がなくなる瞬間に間に合いたいひと、などなど。

カメラは必ずだれかの「ちょうどよさ」に収まってゆく

列挙しすぎました、それでも挙げ足りません。とにかく、カメラというのは、必ずだれかの《ちょうどよさ》に落着する、ということが言いたかったんですね。

そのちょうどよさというのは、そのひとにとっての個人的な「正しさ」です。他人と比較しても具体的な意味をなさなくなります。もちろんそこにたどり着くために他のひとのちょうどよさを見聞きして、相対化することはあるかもしれません。逆に自身の内面を奥の奥まで見詰め続けることもあると思います。

「ニコンだ!」「いいや、キヤノンだ!」「フルサイズだ!」「いいやAPS-Cだ!」「芸術だ!」「いいや科学だ!」といった他愛もないインターネット雪合戦を昨日まで繰り返していたのに、突然、今日、じぶんにとってのちょうどよさに気づくこともあります。

たとえば、ドローンで空撮をしているときに気づくこともあるだろうし、たまには自然写真をと思って海撮や山撮をしているとき、ポートレイト撮影しているとき、コスプレイベントで野良カメコをしているとき、知人に頼まれてしょうがなく請け負ったウェディング撮影で最高の一枚にこだわっているとき、お泊り保育の撮影をしているとき、建築撮影、違法駐車の撮影、コマーシャル撮影、スチール撮影、とにかくなにかの拍子にじぶんだけの言語化不能なちょうどよさに気づくことがあります。

それは常に既にそのひとにとってのみ絶対に正しい、と言い切ることができます。

個人的な正しさは、祝うことしかできない

私にとって、カタログを暗記してスペックの詳細を言えたからどうという話ではありません。

PENTAXというメーカーの「K-50」というカメラは、入門機なのに写りはミドルクラスとか、防塵•防水•手振れ補正機能付きだからどこでもどんなレンズでも撮りに行けるとか、視野率が100パーセントだから見たまま撮れるとか、ダストリダクションで清潔とか、カメラ内現像ができるから帰りの電車内で画作りできるとか、丸みを帯びたフォルムが女子にウケてるとか、カラーバリエーションが豊富とか、私はそういう「検索結果みたいな話」がしたいわけじゃありませんし、したところで仕様がないと思っています。

私にとっての愛用のカメラというのは、そういった記号的•機能的な説明によって表象されるものではありません。なぜならば、狭苦しい記号にしてしまったら最後、私にとってのちょうどよさは損なわれてしまうからです。

だから私は、私の愛用のカメラを(だれかのそれと比べることなく)たったひとつ祝うことしかできないんです。そのちょうどよさに感動して、大いに祝福することしかできません。

「よかったよ」「よかったね」という言祝ぎでしか語り得ないものが愛用のカメラである、と断言させてください。単純化することもできなければ、言語化することさえ難しい。「愛用のカメラについて語る」ということが、どれほどリスキーで、どれほど不能なことなのか、つくづく知るようになります。

愛用のカメラを見つけた

それでもすこしだけ冒険的になって「愛用のカメラ」について語ってみましょう。

もともと愛用していたのは、Olympusというメーカーの「E-420」というカメラです。

オリンパス E-420 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9_E-420

ほしい色味がしっかり出ていて、ほどよいシャープネス。ぼんやりした空間や漂泊した空気感を撮りたかった私にとって、もう本当に、これしかなかったと思います。一方で、最後まで形が好きになれず知人に譲ってしまいました。

ただ、「E-420」は非常にうまく小型化されたカメラで、持ち歩くと気持ちがよく、このカメラのおかげで散歩しながら風景を撮ることのたのしさをはじめて知ることができました。

その頃ようやく、カメラがだれにとっても千差万別なんだと意識するようになりました。

それまでは「こうしなければいけない」とか、「これを知らなければこれは語れない」とか、「これを持ってないとこれを撮ってはいけない」とか、そういった道徳臭い掟に縛られていて、じぶんをつまらなくさせてしまっていたんですね。

じぶんだけのちょうどよさを求めていいと気づいてからは、そういった懲罰的な発想から解放されました。

じぶんがいまカメラになにを求めているのかわかり始めると、スペック的なことであればどのカメラでもほぼほぼ満たしてくれるのだとカメラを信頼するようにもなりました。画質もそこそこでいいし、ホールド感も悪くなければいい。オート性能も、連写も、フォーカスも、感度も、どのカメラも充分にやってくれるんですね。

もっとちがうことを要求してもいいんだ!

そうして私はじぶんの要求を追いかけ始めました。

じぶんだけのちょうどよさを求めるということは、カメラに対する直接的な要求ではなく、むしろそのカメラを通じてじぶんになにを求めているのか、という問いに答えるに等しいなと思いました。同じ価格帯のカメラ、フラッグシップのカメラなどを試しつづけるなかで、私は「K-50」に落ち着きました。

繰り返しになりますが、その理由を一つひとつ説明するためによいところ(アドバンテージ・メリット)を枚挙すればするほど、どうしても検索結果やカタログみたいな話になってしまうんですね。

「K-50」は「K-30」と比べてどこが変わったとか、おなじ価格帯のカメラよりどう優秀かとか、そういうレビューは私にとってあまり意味をなしません。細かい性能差を軽視するわけではないのですが、重要視するわけでもないという感じでしょうか。

もちろんそれはそれで他のだれかにとってのちょうどよさですから、いちいち否定することでもないと思います。すべてのちょうどよさは祝福に値している、それが私の発見した信条です。祝福できるものを必ず持っているからこそ、私たちには「愛用」とか「愛機」ということばが与えられているのではないかとさえ思います。

愛用のカメラと必ず出会える

愛用のカメラを見つけることができれば、それを祝福することができれば、私たちの人生はカメラによって無際限にちょうどよくなってゆきます。カメラの世界には、そのチャンスがいくらでも転がっています。たとえじぶんのなかのちょうどよさが変わったとしても、その質的な変化にどこまでも対応してくれます。それだけたくさんのすばらしいカメラ、名機と呼ばれない名機が山ほどあります。

銀板式写真機が発明されてからまだ200年にも満たない短いカメラの歴史のなかで、ようやく私たちは「カメラはこんなにたくさんある」と言える時代に突入したし、「君のためのカメラは絶対に見つかる」と断言できるところまで来ました。おそらくそれ自体が、祝福すべきことがらでしょう。

iPhone、チェキ、トイカメラ、写ルンですでもいいでしょうし、入門機でもフラッグシップ機でもミラーレス機でもいいと思います。弛まず探せば必ずちょうどよいカメラが見つかるはずです。まだ見つかっていなければ、愛用のカメラを探しにゆきませんか。

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author

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