
失って、受け継いで、繋げていく
父方の祖母はさすらいの看護師だった。瀬戸内海の恩恵を受け育ち、幼い頃は戦争を経験した。終戦後は看護師となり鉄道病院に勤め、各地の鉄道病院を転々としながら北上。北関東の結核患者隔離病棟で祖父に出会い数年後に結婚した。
母方の祖母は群馬県に生まれ群馬県に育ち、祖父亡き現在はひとり暮らしをしている。圧倒的に高いコミュニケーション能力を備えているので友人知人が多く、ひとりでもそんなに寂しくはないようだ。定年を迎えるまでパートで働き、八十歳を過ぎてもシルバー人材派遣で公園の清掃をしていたパワフルを絵に描いたような人だ。
そんな祖母たちには、得意な料理というか、彼女たちそれぞれの「定番」があった。父方の祖母はトマトカレーと苺ジャムで、母方の祖母はワンタンスープと漬物。
それらはしみじみと美味しくて栄養があり、食べると元気が出た。ほっとするような、おなかの中に火が灯るような、こういう食事が血肉となって心と身体をつくっていくのだという感じがした。
特別な日のごはんも楽しいし素敵だけれど、私は「定番」が好きだった。
同居人にそんな話をした日、晩ごはんでこれが自分の「定番」だと言われたのがサバの味噌煮だった。
一口食べるとどっしりと味噌の風味が濃いサバの味噌煮で、東海地方の料理の気配がする。北関東生まれ・育ちの私には馴染みのないはずなのに、それでもちゃんと「定番」の味がした。
私は両祖母から少しずつ「定番」のレシピを聞いてメモをとり練習した。何度か自分で作るうちに、トマトカレーも苺ジャムもワンタンスープも漬物もレシピを見ないで作ることができるようになった。
教わった料理を作る時には必ず祖母たちの手がてきぱきと動くようすが頭に浮かんだ。
アパートの狭いキッチンに立つと、私は無意識に祖母たちを真似している。
苺ジャムを保存する瓶は必ず煮沸消毒をすること。ワンタンスープはひき肉とワンタンを別々に入れても美味しいこと。白菜の漬物に鷹の爪や柚子の皮を入れると風味がでて美味しくなること。
包丁の刻むリズムや鍋をかき混ぜるタイミングは私のものであるはずなのに、そこには彼女たちの面影がある。
私のアレンジが加わっても、料理の中には彼女たちの愛情や家族が元気でいてほしいという想い、そして食べる人が美味しいと言ってくれる喜びがあって、それは薄れることはなかった。
むしろ、世代が変わるごとにそういう想いが重なって強くなっているようにさえ感じた。
トマトカレーを作る時は生のトマトを使うよりも手軽なのでトマト缶を使う。既製品の真空パックのぬか床でも毎日清潔な手でかき混ぜてあげればカビたりすることはないし、塩や昆布、鷹の爪を足せばちゃんと美味しくなる。アレンジが加わって私の「定番」になっていく。
失ったとしても続いていくことがあるのだということを、身体で理解する。
現在、父方の祖母は介護付き老人ホームに入居し、元気ではあるがいろいろなことを忘れていっている。母方の祖母は最近ぐっと小さくなって耳も遠くなった。私が彼女たちに会うのは年に片手で数えるくらいの回数なので、台所に立っている祖母の姿を見ることはもうないのかもしれない。
今日も私は狭いキッチンに立ち、刻んだり混ぜたり煮たり焼いたりする。
同居人の作る豚汁には刻み生姜が入っていることに気づく。これはこの人の実家の豚汁なのだろうなと思い、自分で作る時にちょっとだけ真似る。
自分の「定番」に誰かの「定番」が加わって、鎖のように繋がっていくのが見えてくる。
誰かの身体をつくっているのは食べもので、その食事を作ってきた人たちの想いは続いていくのだ。そこに血のつながりは関係なく、美味しく食べることができて健やかであってほしいという想いは重なって強くなってずっと先の命まで受け継がれていく。
私はそれを、美しい命の連鎖であると感じている。
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