『ラゴン・ジュルナル』に来てくださってありがとうございます!

「JavascriptをOn」にしていない端末やブラウザで閲覧しているかたに、このアラートが表示されるようになっております。Javascriptを許可してからおたのしみくださいませ。

Chrome「設定」→「詳細設定」→「プライバシーとセキュリティー」→「サイトの設定」→「Javascript」を許可 iPhone「設定」→「Safari」→「セキュリティ」→「Javascript」をオン iPad「設定」→「Safari」→「詳細」→「Javascript」をオン Android「メニュー」→「設定」→「高度な設定」→「Javascriptを有効」など

天国みたいに

天国みたいにしてください。

「今日はどうされますか?」というネイリストのお姉さんの問いかけに対し、そう答えた。彼女は「天国ですか?」とふしぎそうに聞き返して、わたしはちいさく「はい」とつぶやく。微妙な静寂から、彼女を困らせていることがありありと伝わって、視線のやりどころがわからなくて、自身の皺くちゃな指先を眺める、ふりをする。

〜・〜・〜・〜・〜

二〇一九年の暮れに、家族旅行と称して九州へ向かった。年末は二十八日まで仕事で、年明けは四日から仕事だったため、二十九日から三日にかけての六日間。家族で旅行に出かけるのは六年ぶりで、こんなにも長い休みを取ったのも久しぶりだった。二十八日の深夜に、妹と一緒に荷造りをする。大きなスーツケースの、左側が妹、右側がわたし、と区切って、「化粧水はお仲間しようね」「シャンプーもね」と言い合いながら、ぎゅうぎゅうに詰め込んでいく。

旅先での日常生活を想像しながら、必要なものを取捨選択していく作業はそれなりに楽しい。できるだけ荷物は減らしておくことが重要だけれど、それでも、わたしたちは日常生活におけるちいさな楽ちん——自分で泡立てる必要のない濃密なホイップの洗顔料だとか——が心を癒すことを知ってしまっている。替えをきかせたくないのだ。なので、せっせとこまごまとしたものまで詰め込んでいたら、まったく余裕のない荷物のなってしまった。六日分の安らぎと引き換えに、大きな荷物を移動させるという簡単な決意をする。

早朝の空港はひどく混雑していた。ひと、ひと、ひと。ぶつかりそうになりながら隙間をぬって歩く。スーツケースは妹が引いてくれていた。わたしはちいさなショルダーバッグをひとつだけ。身軽なはずなのに、頓馬なせいで、すぐにはぐれてしまいそうになるので、必死に足を回した。

チェックインを済ませて、保安検査へと進む。検査を待つ列に参加したわたしの後ろには、幼稚園児ほどのおとこの子と、その母親であろう女性が並んでいた。並んだ先にあるセキュリティーゲートと、その下をくぐり抜けるひとびとを見て、おとこの子が「びりびりしない?」としきりに心配していた。妹と視線を合わせて「(可愛いね)」と笑う。

ついに、わたしたちの順番。鞄をトレーにのせて、iPhoneや腕時計は鞄から取り出して、その隣に置いておく。コートとブーツを脱いで別のトレーに入れる。ふたつのトレーがベルトコンベアの上を流れる様子を横目見て、セキュリティーゲートをとおり抜ける。おとこの子が心配していたように、感電するようなことはなかったけれど、別にそうなってもいいなあ、なんて投げやりなことを思ったりしていた。

検査が終わったら、脱がされたブーツ、コートを身につけて、鞄やらを手にして、顔を上げた。あとは搭乗するだけ。早朝からひっきりなしに続く忙しなさがようやく終わるのかと一息つく。と、なまぬるい人間のにおいと、隣を歩く妹の香水の、洋梨のすきっとしたにおいが、するりと宙を泳ぐ。

時間に余裕があったため、すこし休憩、と、ベンチに腰掛けた。一緒に座った妹と弟はそれぞれスマートフォンの画面を見ていたため、何かを話しかけることもないまま、ぼうっと過ぎゆくひとたちを眺める。

根拠もなく、ぼんやりと、なんだか天国のような場所だな、と思う。

空港など、もう特にめずらしくもない場所で、それまでそんなことを考えたこともなかったのに、そして天国がどんな場所かも知らないのに、漠然とそう思った。

いろんなひとが、それぞれの場所に旅立つために必要な手続きを踏んで、忙しなく動いている。まるで、死んだあと、また新たな生きものとして生まれ変わるために行なっているみたいだった。あなたの次の人生は△◯です。あちらの入り口にお進みください。生まれ変わるときは前世の記憶を持っていけないので、余計なものをお持ちでないか確認しますね。あちらのゲートをお通りください、不要なものがあれば音が鳴ります。と、くだらない妄想をして、ひとり呆れたりする。命は使い回しできるようなものではないと分かっているのに、そう感じてしまうのは、やはり、そうあってほしいと願うからだろうか。

これからの六日間は、久しぶりの家族旅行で、でも本当は傷心旅行なのだと、きっとみんな気づいていた。

二〇一九年の夏の終わりに、祖母を亡くした。心の準備も何もない突然の死で、病気で亡くなった祖父や、母方の祖母の死の——誤解を恐れずに言うと——そのありがたさにようやく気づく。あまりの唐突さに、はじめは泣くことすら忘れていた。葬儀の間、祖母の遺影を眺めながら「こんなに綺麗なひとだったっけ」と考えていると、周りからすすり泣く声が聴こえて、ああ、ここは泣いてもゆるされる場所なのだと思い出して、そしてようやくひっくり返ったように泣き喚いた。葬儀が終わって、遺品の整理もして、しばらく経つと涙は出なくなっていた。涙は出ないのに、躰の芯を抜きとられたかのようにふらふらしてしまう。

祖母の不在をじゅうぶんに理解して、それでも慣れることはない。

正月は祖母の家に集まってお祝いをする。わたしがこの世に生を受けてからずっと続いてきた習慣だ。その習慣が急に奪われて、やわらかい部分を盗まれたような心と躰で、どうにか癒すために非日常へ出かけたのだった。

時間はあっという間に過ぎて、搭乗口へ向かう。搭乗橋に足を踏み入れると、ふわ、としたいやな重力が躰にのっかかった。飛行機を利用するのが久しぶりな弟は、「うおう」とよくわからない声を上げて笑っていた。とても可愛い、と思った。

乗り込んだ飛行機が離陸する。隣に座る弟が「墜落したら嫌だね」なんて不吉なことを言う。女性の声のアナウンスが流れた。地響きのような音を立てて、どぅるどぅると機体が進んでいく。ちら、と窓の外を見やると、景色が斜めになって、地面と空の境目がどんどん鋭角になっていく。

耳が詰まって、鼓膜が張る感覚がする。同時に、耳抜きがうまくできなかった祖母のことを思い出す。彼女がいま、どこにいるのかわからなかった。けれど、きっと、手の届かない、いっとう高い場所にいるのだろう。まだ、そこには行けないのに、でも、どうしても会いたいと思う。

限りなく天国に近い場所で、震えそうになる網膜を堪えながら、そっと瞼を下ろした。

〜・〜・〜・〜・〜

祖母が亡くなってからもう随分と経つのに、躰の芯はまだ抜き取られたままだ。もしかすると、もう二度と返ってこないのかもしれない。祖母の命が戻らないことと同じように。それが当然のように思われた。だったら、もう、慣れるしかない、のだろうか。まだ、よくわからない。

ネイリストさんと一緒に天国をイメージする色と雰囲気を選んで、少しくすんだ白色の、きらきらとした天国を指先に纏うことができた。陽光にかざして、ふいに指先を曲げれば、やさしい反射を含んだ爪が、たしかにここが天国ですよ、とやわらかく光る。

すこしだけ、躰の芯が埋まった気配がした。

いつの日か、この場所で会えるでしょう、会ってみせましょう。だから、どうか、その日まで。

約束の小指を交わすように、指先の天国を握りしめた。

Written by Oriya, Hanae
Copyright LagonGlaner and Author

「ラゴン・レキシク Lagon Lexique」は、ことばとの出会いを大切にするランダム語釈表示サービスです。ふだんの生活では出会えないことばが収録。どなたでも無料なのであそんでみてください!

運営や著者に声を送る かしこまらず、あなたの温度感で。 フォームへ飛ぶ
Liana Mikah
ブログ 思いつづるひとつひとつの日々。
Agathe Marty
エッセー それぞれが一回に懸けるもの。
daniel petreikis