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満ち足りたと思う日は来るのか

きょう、電車で向かい側に座った親子連れの、小学校一年生くらいの女の子がセボンスターの指輪とペンダントを着けていて、羨ましかった。セボンスターをねだって買ってもらえることも、着けてお出かけができることも。女の子が話しかけた時のお母さんの顔も、慈愛や母性という言葉では括れない温かい感情に満ちていた。それらはわたしが受けずに育ったもので、この先どうやっても手に入れられないことはわかっていて、わたしはその女の子がそのまま幸せに育つことを願うくらいしかできなかった。

*

幼少期に多少与えられた愛情は、一回の暴力でいともたやすくマイナスになる。自我が芽生えてから記憶のある限り、20歳を過ぎても続いた暴力(性)は、わたしを愛着障害にするのに十分だった。

父に殴られたり怒鳴られたりしている間、味方──とは言えなくても最終的にかばってくれるのは母だけだった。そんな状況が思春期のすべてを占めていたから、わたしは長く母の過干渉の異常さに気づかなかった。成人し、数年が経ち、気づいたわたしが親離れをした今も、おそらく母は子離れをしていない。

愛着障害という概念は、成人に対しての定義はDSMにはない。だがたとえば岡田尊司『愛着障害──子ども時代を引きずる人々』にはたくさんの著名人の事例が紹介されていて、確実に成人にも当てはまるのだとわかる。不安定なまま、歳を取らざるを得ない人びと。

「あまり愛されなかったと思うの?」
 彼女は首を曲げて僕の顔を見た。そしてこくんと肯いた。「『十分じゃない』と『全然足りない』の中間くらいね。いつも飢えてたの、私。一度でいいから愛情をたっぷりと受けてみたかったの。もういい、おなかいっぱい、ごちそうさまっていうくらい。」 (村上春樹「ノルウェイの森」講談社文庫上巻159ページ)

この本は初読から10年以上経っていて、数え切れないくらい読んでいる。

親に与えられなかったものを思うとき、緑の、この台詞にはとても共感する。

さすがに抱っこもせずに育てることはできないだろうから、わたしも多少は愛情を持って育てられた、と思う。おそらく。親が愛情だと思ってしたこともあっただろう。だから“『十分じゃない』と『全然足りない』の中間くらい“なのだ。

ゼロか100かではなく、不十分と不足の間。殴られはしても家の外で夜を明かしたことはないし、習い事もさせてもらった。小中高と修学旅行に行って進学もした。

けれど、たとえば顔を蹴られたり必要なものも買ってもらえなかったり、家にいると1時間に1回は小言を言われたり働き出しても19時や20時になると早く帰れというメールが届いたり、した。

もちろん十分ではある。ネグレクトではない。けれど夥しい暴力(性)を浴びて、からからに渇いたまま、わたしは家を出た。

今、幸運なことにわたしには恋人がいて、さらに幸運なことに愛情をたっぷり受けている。それでもおなかいっぱいにはならない。愛情を受け止める場所が壊れているのだと思う。穴がたくさん空いたバケツみたいに。

恋人からの愛情を感じて、とどめておきたいと思う。思うのだが、マイナスが大きすぎるのか、バケツがなかなか直らないのか、両方だろうか。

自分に起こるいろんな問題の根っこが親との関係性にあるのだと気づき、なんとかしようともがき続けて数年が経つ。自分一人で自分の傷を抱えて癒やすのはとても難しい。バケツの穴をふさぐところまで、行かないかもしれない。それを満たすのは、なおさらだ。

最終的に「ノルウェイの森」の主人公と緑は(いちおう)結ばれるのだが、緑がおなかいっぱいになる日はなかなか遠い気がする。たとえ完璧なわがままを聞き届けられても、一度では難しいだろう。でも主人公が完璧なわがままも普通のわがままも許容して、そばに居続ければおなかいっぱいになれるかもしれない。

わたしも、二つ目の記事を書いた頃はまだなんとなく厭世的で、生きていたいと積極的に思ってはいなかった。最近はそれが少し変化して、「せっかく好きな人と二人で生きているから、できるだけ健康で長生きしたい」と思うようになった。恋人に言ったら驚かれたけれど。完全な癒しは遠くても、他人に心を開いて、受け止められたことが少し傷を治したのだと思う。

Written by Izumi Mano
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