
『きえもの』九螺ささら著
食べ物が出てくるシーンが好きです。
実生活では特に食に無頓着で、冷蔵庫が空であれば備蓄用の缶詰を開けてサバの味噌汁を作り、白米と一緒に食べて私偉い!自炊したし大満足!なのですが、フィクションでは全体的なストーリーよりも食べ物に興味が向いてしまうこともしばしば。
思えば幼少期は、『ぐりとぐら』の巨大かすてら、『ぐるんぱのようちえん』のビスケット、『おばけのてんぷら』のてんぷら…などなど、あのページが読みたくて絵本を読んでいた気がします。アニメや映画も一緒です。特にジブリアニメは地上波放送されるたびに食事のシーンで盛り上がっている方をTwitterなどでお見かけするので、こういう方は結構多いのではないかと思われます。
九螺ささらさんの短編集『きえもの』は、食べ物をテーマとした短編集です。そして、短歌が物語の最初と最後を飾っているという、シンプルながら独特な構成をされています。
食べ物と言っても、餅や水、ステーキなど大まかなくくりのものから、パピコ、ウイスキーボンボン、ネクター、柿の種などかなり限定されたくくりのものまで様々で、なぜこの食べ物でなければならなかったのか、ここからどのようにして小説が生まれるのか、など色々と好奇心を掻き立てられます。
1話1話独立していて、登場人物の関連性も皆無です。共通点は、どんな形であれ食べ物が出てくること、日常と幻想が交錯していること、衝動を食べ物の欲求と関連づけていることだけ。
私はぶどうガムのお話がお気に入りです。5年前からコンビニでぶどうガムの万引きを繰り返す「わたし」は、ある日とうとう店長に見つかります。店長は、被害届を出さない代わりに自分の影を見守ってほしい、影が薄くなったら国産醤油をかけてほしいと依頼してきて…。というお話です。
あらすじだけ書くとなにやらトンチキな感じなのですが、読後は心に穴が空いたような強烈なうら悲しさが襲ってきます。
そこで目に入ってくるのが締めの短歌です。これは、いきなり読者の元に降ってきた白昼夢を現実とリンクさせる役割を担っている気がします。約束された小休止といいますか、一旦幻想の世界へどっぷり潜り、短歌で現実の身近な食べ物と結びつく時間が発生し、食感・風味・姿形を想像して物語の結末に納得するのです。
短歌はタイトルにある食べ物の名前が必ず含まれているわけではありませんでしたが、想像させてしまうような言葉選びが魅力的でした。
あの人工的な甘味料で再現された、実際のぶどうにはない甘みをガムにして噛む、という動作を想像すると、うら悲しさ及びトンチキさを消化(昇華?)できたと実感し、また次のお話に幻想脳のまま進むことができるようになっていました。
この話以外にも、右巻きのコロネしか売れないパン屋のお話や、全世帯が単身者の街で恋をし、恋人ともに逃げ続ける話、夢の中でゴムのような象のステーキを食べ続ける話など、グロテスクでもあり、甘美でもあるお話が続いています。
この本には、温度が存在しない気がします。こう書くと冷淡で無機質な文章だと思われそうですがそうではなくて、こう、例えば喉の渇きが著しい蒸せ返るような夏の日、そしてどことなく憂いを帯びたストーリーなのに、湿気を感じないのです。残るのは鮮烈なみずみずしさ。あるいは、昼下がりの小春日和と書いてあるのに、穏やかな初冬の土の混じったような匂いがかき消され、食べ物の香ばしさに変わっています。
各話タイトルにある食べ物に感情が引っ張られて、食べ物の匂い、食感にこの本自体を変えてしまったように思えました。
冒頭でお伝えした通り、私は食べ物が出てくるお話が好きですが、バターの匂いとか、噛んだ時のジューシーさとか、ホクホクでおいしいんだろうなあ〜〜とか、そういった感情を楽しむ間もなく一気に食事をしたように思えます。どことなく胸焼けもするような…。
でも、間違いなく贅沢な、SF(すこし ふしぎ)な読書体験でした。
タイトル
きえもの
著者
九螺ささら
発行人
佐藤隆信
発行
株式会社新潮社
印刷
株式会社精興社
製本所
大口製本印刷株式会社
写真
餅井アンナ
体裁
四六変型判
ページ
208ページ
発行年
2019年8月25日
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