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武道家と私

かつて、テレビ番組の花形は、野球のナイター中継だった。

公園でも、日が暮れるまで、子供たちが野球をしていた。男の子が頭にする野球帽にはまだ統一感がなく、ここへ越してくる以前、彼らがいた土地のカラーそのままに御贔屓の球団が混在している。

子供たちの数も、分譲の開始まもない住宅地なだけあって、ふたチームぶんには達していない。おさない弟や妹もまざったその歓声は、遠くたのしく聞こえている。それは耳にしつつ、わたしは居間のソファに寝そべって今日も図鑑をよんでいた。

引っ越してすぐ、森だった周囲を急激な宅地造成に削りとられて赤土の平原にうかぶ孤島のように小さくとり残された緑の山をみつけた私は、そこの探検に魅了され、夢中で通ううちに、近所の子供グループへ仲間入りするタイミングを逸した。

学校でも、教師に将来の夢を問われた際は、彼らが微笑んでうなづく答えを選び、やりすごした。

男の子が甲虫やトンボに憧れるように、「74式戦車やF‐104、米ソのルノホートやボイジャー1号2号、そしてチャック イエーガーのあの乗機のような、極限を住処とするそれらへと自分の心身を重ねたい想い」は、いつかこれを齟齬なく言葉にすることができるようになるまでは、誰にも話せずいるだろうと思っていた。

そんな叶えようのない夢は言語化より先に、出張の多い父が月にいちど増やしてくれる図鑑と、タイピストの母が使う辞書の文字の中に、そしてまた例の近所の小さな森のささやかな冒険へと、昇華していたようで、夢中になれる世界を持っていたせいか友達のいない不便さは何かにつけ感じつつも、わたしはひとり孤独ではなかった。

そして、そのまま、ろくにメジャースポーツのルールを知らない大人になってしまった。

でも、あのころ言葉にできなかった「それ」へと自分をはこぶ方法とは、今、幸いにして出会うことができている。

その道の名を、クラヴマガ べ ハガナアツミットという。

いまは【接触戦闘防衛術】とだけ、直訳しておこう。

中東にある古く新しい国、イスラエルの武術だ。

名前こそいかめしいが、この武術の本質を師匠の言葉そのままに書けば、家にかえってコーヒーをいれて家族でケーキをたべる方法だ。

これを練習する日々からうける副作用の実感は、人それぞれな様で、わたしの知るかぎりでは、自信がついたり・いさかいを回避するようになったり・両親の喧嘩中、居間でテレビをみていた女児が、かたわらにあるケージめがけて飛んできたクッションを無意識に叩き落とし、中のハムスターをかばっていた自分と、自分の中の「それ」に気がついたりする。

わたしの場合は、人間の内側にある防衛の本能と能力を発掘していく、この巧妙な仕組みに良くも悪くも魅了されている。

日々が発見だ。いや、正確には、先人たちの歩んだ道をなぞる再発見の日々だ。などと言うと大家になったような口ぶりだけれども、前述のとおり私は生来活発さとは縁遠い性格を持ち、学校体育的にも目立たない子供だった。

小学生時分のドッジボールでは、投げるほうはまるでダメで、ボールを避けることだけは得意な、要するに時間食いの厄介者だった。

丸い物体を片手で投げる身体の使い方が、まずわからない。ボールを手にしても、考えてしまって投球はぎこちない。だいいち、敵弾をキャッチすることができないのだから投げるところまで至らない。

そこで、わたしは球をよけることに専念した。やがて、一歩だけなら左右のどちらへでも、素早く動ける立ち位置があることに気がついた。

常にバランスを両足の中間に置き、身体が浮いているような感じのする不安定な一点に立っていれば、敵コートと外野の中間位置で相手に挟まれていながらも、限られた空間の中で最大の距離的余裕をもって、彼らの狙いを自分の立つ一点の座標にひきつけることが出来る。

あとは球を持つ相手の投球の起こりをみて、加速するボールが彼の手を離れる瞬間に決定する飛来軌道を把握し、自分の立つ座標と・それが重なる場合のみ、左右どちらかへ一歩足をだせば、立っていた場所からはわずかに離れることになる。

それまで私が居た場所に向けられたボールの軌道なのだから、もとの狙いが正確であれば正確であるほどに、もうそこには居ない私へと球があたる道理はない。

どんなに早い男子のボールでも、かわすことが出来た。

それが楽しくなり、夢中でボールをよけているうちに、昼休みのドッジには誘ってもらえなくなった。

高校に入り、春の球技大会はソフトボールだった。

記憶をたよりにバットを振ると、打球は弾けて飛び、走れとの声に駆け出したところ、一人で二つのアウトをこさえてしまった。

一塁にいた走者を、私が走って三塁まで追い詰めてしまった結果なのだが、ルールごと球技をまるで知らないことは誤魔化せなかった。

球技にある細かい規約の存在をどうも好んでいないような自分に対し、それならばと、冬の陸上競技会では、やったこともない走り高跳びに志願した。 毎日放課後に練習があり、高く跳ぶ工夫と、踏み切りの一点めがけて全身を協調させていく自己訓練は楽しくて記録ものびてきたが、大会一週間前になって、最高記録はわるくないが良いときと悪いときにムラがありすぎて本番にはだせないよと、担当教諭が渋い顔をした。

けっきょく、リレーの補欠要員にまわされた。

モラトリアムをめあてに、なんとなく進んだ大学は、ケーブルカーと電車を乗り継いで大阪梅田から二時間かかる、山の上にある広い盆地の小さな町の中にあった。

寺院と墓と土産物屋のほかには地平まで広がる樹海以外なにもない、殊に僻地な大学での四年間が、また友達のいない日々になりそうで、下宿での最初の夜、布団のなかで寝付けなかった。

好む好まざるは別として、友達をつくるには極めて早期から何らかの集団へ帰属するのが効果的という教訓から、それを実行するにあたって、山のうえの町に一軒だけあるコンビニでアルバイトをするか・なんらかの部活に入るか・この宗門大学でニッチな学問に励むかの、三択を迫られた。

翌日のオリエンテーションの席で、受験の折に知りあった学生と再会し、立ち話しをしたきり話の切れ間がつかめなくなって、そのまま空手部への見学に同行することとなった。

体育館での稽古を見学し、部長以下二人しかいない部員らに誘われて、友人ともども先輩おごりの天津飯を食べるうちに、私の入部も決定していた。

部員不足で廃部寸前だったその入部当時はともかくも、インターハイで五人抜きを達成した猛者もいる後輩らの入部以降は、試合に駆り出されることもなくなり、絶えない小さな怪我とも付き合いつつ、同期と先輩らの寛容に恵まれて、仲間と練習のある生活がだんだん当たり前で楽しいものになってきた。

系統だった指導もなく、ただ部員同士が蹴りあったり突きあったり投げたり投げとばされたりするだけの部活でも、夜は独り型をして自分の身体の中を観察し、動かない場所を動くようにとスポーツや医学の関連書から専門書をたどり、先人の残した言葉を自分でもいつか体感できるようになりたくて古典にもあたるうちに、そんなサイクルが楽しくなり気がつくと、六年がすぎていた。(※二回留年しました)

学部の勉強はまるでしなかったが、自分の身体に、深海や天体に匹敵する探究領域があることを知って、生涯に渡るテーマをみつけた気がした。

卒業直前、峠を走るやんちゃなグループに属する学生が、どこかの修理工場より譲り受けてきたらしいサビ傷だらけのバイクを駐輪場で分解し、油によごれながらまた元へと組みあげている姿を見た。

寝食をわすれるような、そんな時間を、彼はバイクとすごしている。

喫煙所がわりにしていた体育館裏の壁にも、ずっとみんなでバレーボールをしていたい、との落書きがあった。

むずがゆいものを見て、見ないふりをした。

わたしも身体で、それをする。

大小を問わず、みんながきっと、そういうものを持っている。あるいは探している。

社会人になって、武術をまた始めてみようとおもった。

きっかけは失恋で、時を共に重ねても離れることのない何かを探した結果だった。

上京しておくればせながら社会に出て、まずは同世代とならぶことを目標に武道は捨て、普通のひとが普通にこなせるだろう事をさまざま試してはみたけれど、外から自分を塗りこめていく方法では、結局なにも身につかず、五年間をカラまわりさせて過ごした。

成人の時間感覚にあるそんなエアポケットに一度落ちたことで、自分の胸の内に耳をかたむけて、他ならぬ自分の子供心が望むことを、大人になった自分が身体と知恵を駆使して叶えてやることで、体と心は共に歩んでいけるのだと気がついた。

であるのならば、やはり私は、自分の性能を向上させ可能性を開発する、人生の旅のような道を見つけたい。

本来、世界には人心を縛るルールがない。あるとすれば熱力学の法則くらいだ。自然界にないものだから人は、人間社会に人間同士のルールを作る。だが、そのルールの前提となる土台は、脆い。

あの小さな森の中で見た、食うもの食われるもの、それぞれが生をまっとうしようとするため生じる、避けようのない戦いを生きのびる、泥臭い知恵を私は欲してきた。

おそらくそれは、武術なのだろうと思うに至った。

ただ、武術の中の、どれなのかは、まだ分からなかった。

でも、この際、それに出会えるまで、何年がかかっても良いと思った。

そして、はじめて師匠に出会ったのは、たまたま手に取った雑誌の告知欄でみかけて即日に申し込んだ、イミ・クラヴマガ護身術の公開セミナー会場だった。

黒帯をしめた柔道着から露出するわずかな肌の隙間のどこもが骨太で実に頑丈そうな体格をした丸刈りの外人男性が、高名な空手家の所有するバレエスタジオを改修した半地下にある広くて寒いこの二月の道場の板間で、青い訓練用の樹脂製けん銃を両手で保持し、ひとり、壁にむけて構えている。

ほかに誰もいない。

銃を正中に構えたまま、わずかな足さばきで九十度ずつ順に全周を向いてまわる。剣術で見る四方八方を斬る動作にも似ているが、けん銃でそれをしている人をはじめて見た。この人もセミナーの受講者だろうか。

彼は、道場で、柔道着をきていながら革靴を履いていた。

ほかに主催者らしき人もない。

あらためて土間を確認する、

かまちの下に、大きなスニーカーが一足きちんと揃えてある。間違えて土足で室内にあがってしまった外人さん、という訳ではなさそうだけれども…

道場をみる。

わたしに気がついて、師匠が笑顔になり、けん銃を腰の黒帯に挿した。

「ハーイ! なにしにきたの? ここは… 美容院、ジャナイヨ?」

とてもいい笑顔。

子供のころからわたしは、おのが形質を生存に向け徹底して変容させ無駄を切りつめることで他の追随を許さない活動領域を獲得した野生生物や、兵器の先鋭化に魅せられ、また、遠い星や深い海をめざし還らぬ旅にでた好奇心の結晶ともいえる探査機に、畏敬の念と憧れをいだいてきた。

このセミナーに事前情報をほぼ持たず参加していた私はまだ、ここが混ぜ物のない真のクラヴマガだということも、これがヒトのなかにある無意識の領域に繋がる道であることも、知らなかった。

そして、この男性が、その創始者の直弟子であるということも。

歴史的にも地政学的にも、生存性を第一に考慮せざるをえない国情を建国当初から現代イスラエル国は持つ。

その要求に応えて創始者イミは、闘争に関する古今東西の技術を世界中からあつめたうえで、度重なる淘汰のなかで実践実証された組み合わせだけを残し、あらゆる展示性を排す、実用的な防衛術の体系化に着手した。

彼が退役後、完成させたクラヴマガ べ ハガナアツミットは、ルールなき環境での実用性に特化した汎用性の高い生存手段として、粗暴でシンプルな風体に仕上がっている。

が、この真のクラヴマガは、その技術展開の根幹をテクニックにではなく、誰もがヒト以前の祖先より受け継いでいる防衛に関わる本能に求めるため、人の深淵たる無意識のなかに眠る「それ」の可能性をひらく、学問や禅のような求心性を内面に持っている。

ながい間、ひとりで歩いてきた気がする。

クリスマスの夜、小一で越してきて初めてむかえた新居での朝、まだその造成地は見渡すかぎりに乾いた赤土の平原だった。

玄関をあけた先の風は強く、赤くかすんだ空に、わたしは火星へ降りたった探査機の気分になれた。

目をこすり、歩くうち、彼方にひとつ、ぽつんと緑をみとめたときした鼓動が、その時もした。

その日、求めていた人に、ついに私は出会っていた。

Written by Tajimi, Motoko
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