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鍼灸院に通っている話 - とある一人の体験談

 先に泌尿器科の話から入る。昨年事故に遭い後遺症が残った。尿閉である。自力で排尿できなくなるなかなか厄介な代物であった。当座の凌ぎとして栓のついたカテーテルを膀胱に挿し、ひと月ごとに交換する。そのうち治るだろうという主治医の見解で大きな病院を退院し、診察は街の泌尿器科に引き継がれた。

 泌尿器科は世の中の大方の老若男女が「できればご縁を結びたくない場所」の一つに挙げるのではないだろうか。例に漏れず私も行きたくなかった。医者が異性だったら嫌だ。そう考えながら紹介状を握りしめ門をくぐる。ここまで来たら引き下がれない。道場破りよろしく「たのもう!」の精神である。心細い私を案じてか母親が付き添ってくれた。

 診察室に入るとそこに待っていたのは予想に反し女医であった。ハキハキした物言いで若い。この人なら何でも治してくれそう。そんな雰囲気を纏っていた。しかし私の膀胱は頑固である。カテーテルを外し生理食塩水を目一杯膀胱に入れて検査してもらったものの尿意こそあれ出口はうんともすんとも言わない。

「また来月試しましょう」
 女医は言った。
「治りますかね?」
 治ってくれねば困る。
「カテーテルの入れっぱなしは衛生面の不安があるので治らなかったら自己導尿ね」
 女医は自分がいくつも症例を見て慣れているから淡々と話すが患者にとっては衝撃である。自己導尿とはカテーテルを入れっぱなしにするのではなく、尿意を感じたら都度自分でカテーテルを入れて尿を排出するのだ。自宅でも出先でも関係なく、である。

 ショックを受けつつ待合室に戻り母にこれこれと話すと「診察は女医」と知るやいなや、そういえば私も最近調子が悪くて、といそいそと自身の診察の受付をはじめた。娘の付き添いできてくれたのではなかったのか。関ヶ原の戦いもびっくりの早々とした裏切りである。

 失意のうちに帰宅した私は考えた。自己導尿は嫌だ。だって面倒くさい。私は生来の面倒くさがりである。どうにかして治したい。少々狡い手を使ってでも治したい。いっそ悪魔と取引してでも治したい。

 問題は神経なのだ。私は考えた。細かいことは判らないけれど膀胱が硬くなっていて排尿する神経がうまく動かないらしい。そういえばリハビリの医師は腹筋を鍛えればいいとか言っていた気がする。無理だ。「毎日やってくださいね」と渡されたリハビリ運動の冊子を早々と廃品回収に出してしまったほど運動嫌いの私が簡単に腹筋を手に入れられるとは思えないし、自己導尿が始まるまでのタイムリミットは短い。それに正直もっと楽して結果だけ手に入れたい。この怠惰な全身の中で神経だけががむしゃらに働いてほしい。今思えば人生の窮地に立つ割に余裕があった。

 その時ふと「神経」で思い出した。友人の家に遊びに行ったとき、友人のお母様が自宅で開業している鍼灸師だった。話の流れで私も刺してもらって翌日、好転反応のような熱が出て一日中寝込んだ記憶がある。その後も肩こりが酷かったとき近所の鍼灸院に行ったことがあったっけ。あそこは鍼に電気を流されて変な感じがしたな。美容鍼で顔に刺してもらったこともあるけど鍼灸師が変なおばちゃんだった。ここまで私は鍼灸にいい思い出がない。

 それでも私は鍼を選んだ。鍼は神経に直接働きかけるのだ。私本体は別に痛い思いもつらい思いをするでもない。ものによってはたった一回の治療で症状が回復することもあるらしい。試してみる価値は大いにあると思った。果たして堕落した私と鍼治療という名の悪魔との契約は交わされた。

 となるとさっそく鍼灸院を探すことになった。どうせなら尿閉の治療経験があるところがよかったが、このIT時代において鍼灸の業界は未だアナログ全盛であるらしくネットで探しても思うように引っかからない。妥協して電車で十分、駅から五分の鍼灸院を見つけた。先に「尿閉を治したいです」とメールで問い合わせできたのが決定打だった。

 これは私の意見だが鍼灸院を選ぶ際は目的に合わせて選んだほうがいい。何処も同じと思い近所だから、安いからという理由で適当に選ぶと痛い目を見る。私の場合は以下の三つを条件にした

①電流を使わない
②美容鍼がメインではない
③マッサージもやってくれる。

①は過去の体験で合わないことを実感済みだし、シンプルな治療のほうが効果がある気がする。②は美容は今回の目的ではないし、美容メインの鍼灸院はより価格が高い傾向にある。③は鍼だけではなくマッサージもしてくれるところなら全身の不調を相談しやすいと思ったからだ。ついでに色々治したい。これは完全に私の好みの問題である。

 予約日に鍼灸院に行くと、細長い体躯の男性院長が一人ちょっと古い寝台一つの手狭な場所であった。いかにも「街の治療院」という気がする。同じ通り沿いに合計三軒の鍼灸院があったので鍼灸がメジャーな街なのかもしれない。問診票へ記入を終えると着替えを渡される。

 さて鍼灸院というものが一般に敬遠されがちな理由の一つにこの着替えがある。着替えなら整体にもあるけどあちらへは皆通っているじゃないか。読者の方はそう思われるかもしれない。何が違うのか。それは肌である。鍼灸は肌に直接触れて行うものだから当然、治療の際は広い範囲で肌を見せる。そのため施術着も背中がマジックテープ式になっておりガバッと一気に開く。女性なら下着も見える。お腹側は一見普通だが治療の時にはガバッとめくられる。ぽんぽこりんとだらしなく出ている腹も容赦なく鍼灸師の眼前に晒される。気にする人は気にするし、気にならない人は気にならない。私は幸い後者の人だ。

 カーテン越しに着替え終わったことを告げると、院長は問診票について軽く確認したあともういきなりプスプス鍼を刺した。院長は大変無口であった。ただ治療に集中していく。「鍼は痛くない」一般的によく言われる。私も今まではそう思っていた。しかしここの鍼は痛い。私は確かにそう感じた。無言の施術が余計にそう感じさせた。鍼のチクッとした感覚があるのではない。見えない部分なので曖昧な表現で申し訳ないが神経と思われるところに鍼と思われるものが当たって痛いのだ。神経が鋭敏になっている感覚がある。気分は解剖されているカエルである。当事者のカエルがどんな気分なのかは皆目見当つかないが。ピーンと張ったような痛みが確かに鍼に刺された部分にある。それなのに鍼を抜いている感覚はこちらに与えない。初回の通院で「この先生は名医なのではないか」と思わされた。

 その後、とてつもなく熱いお灸と(痕が残るほど火傷した)、とてつもなく痛いマッサージ(太腿に内出血ができた)により私の中での院長の評価はイーブンとなるが。とにかく次回の泌尿器科までの一ヶ月、一回三十分週に二回通い続けてみようということになった。自費診療であるので費用もなかなかの痛みである。

 それからの一ヶ月間は忍耐の期間であった。できるだけ楽をしようと選んだ鍼灸の道でこんなにつらいのだ。間違っても本格的な筋トレなどしなくてよかった。軟弱な私は今頃倒れていたかもしれない。通院のたびにそんなことを考えていた。頻度高めで通っているせいで太腿の痣は濃くなる一方だったがそれが効いている証拠だと思っていた。

 泌尿器科で最後の検査を行う三日前、鍼灸院でようやく院長と世間話のようなものをした。まさかの天気の話である。よくよく会話のキャッチボールが苦手なようだ。

「今日はいい天気ですね」
「そうですね」
 急に話を振られた私もうまく受け答えができない。
「尿閉、治っているといいですね」
「ありがとうございます」
 治っているんじゃないかな。脈絡の無い会話の中、なんとなく私はそう感じた。悪魔との契約の代償は痛みで支払った気がした。

 十二月二十四日。世間のクリスマスイブまっただ中に私は泌尿器科へ行った。「これで駄目なら自己導尿」が決まる日である。結論から言うと尿閉は治っていた。

「鍼灸院へ行ってきたんです、それが原因かも」
 興奮気味に私は女医に告げたが多忙な女医は冷たい。
「治る時期が来たんじゃないの?」
 看護師さんがフォローのように「治ってよかったわねクリスマスプレゼントね」と言ってくれたため私はなんとか気力を取り戻した。
 これで鍼灸院も通わなくて済む。念のため尿閉が治っているいないにかかわらず年内にもう一回の予約を取っていた。院長に治ったとお礼を言って終わりだな。このときはそう考えていた。
 数日後、予約日に鍼灸院に向かう私の右腕は上がらない状態にあった。筋を痛めたらしい。遠いところにあるものを取ろうと無理な体勢のまま手を伸ばしたのが原因のようだ。
「治るけど時間ががかりますね」
 院長は相変わらずの無口であった。
「脇に鍼を刺します」
 そして無情であった。

 腕の次は足首、腰、肩とその後も色々不調は続くものであれ以来、泌尿器科へは行っていないが鍼灸院へは一年近く経った今も通っている。悪魔との契約がなかなか終わらない。

Written by Shinobu Misono
Copyright LagonGlaner and Author

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