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私にとってピュアだったどうぶつの森

 私には3つ上の姉がいて、もう少し年上のいとこ姉妹もいて、私にとってはお姉ちゃんが三人いるようなものだった。

 私が幼稚園児のころは、いとこの家へよく遊びに行っていた。車で数十分ほどの距離。いとこが私の家に来ることもあったそうだが、あまり覚えていない。行ったことばかりを鮮明に覚えているのは、いとこの家が特別楽しかったからだと思う。

 二台駐車できる大きめな車庫を真っ先に飛び出して、家の前まで行くけれど、入口にあるお城のような門扉の開け方が分からず、そわそわしながら親を待った。開くときの、ギィ、という音が、私に童話の世界を思い起こさせる。叔母(○○ちゃんのお母さんと呼んでいた。おばさんと呼ぶとショックを受けるようだし、私にとっては本当にそういう認識だった。)が玄関を開けてくれる。入ると、おさがりの服が入った段ボールを開けたときと同じ、濃厚な匂いが広がっていて、自分たちとは違う家族だ、全く別の世界だ、と感じる。甘ったるい、アロマキャンドルと香水を煮詰めたような香りに怯みつつ、玄関横にあるユニコーンの木馬に目を奪われる。私がまたがると危険なくらいの大きさ。こんなにかわいい、生活に必要のない大きな置物があるなんて、と、今の私が言語化するならそういう衝撃を受けていた。

 リビングの天井の高さに舞い上がり、ぴょんぴょんと跳ねても怒られない。洗面所の鏡が大きくて、用もないのに何度も見に行く。階段を上がるといとこの部屋があり、二段ベッドと学習机が並んでいる。言われなくてもどっちが誰のものか分かるくらい、姉妹それぞれの趣味に染まったスペースで、まだ学習机を持たない私にはすごく羨ましかった。

 漫画もたくさん置いてあって、『NANA』はそこで読んだ気がする。内容は難しかったけれど、絵がとにかく美しかった。詩集というものに初めて触れた。表紙には少女の絵が描かれていた。漫画でも小説でも絵本でもない、短い言葉が並ぶ本は、不思議だったけど理解したくて何度も繰り返し読んでみた。あの時のような詩とのふれあい方は、今、なかなか難しい。

 そんな魅力的なものであふれた家で、ひときわ惹かれたのは、ゲームキューブで遊ぶいとこ達の姿である。テレビの中のキャラクターを、コントローラーで自在に動かせるということ。まだ幼い私の目には魔法のように映った。

 その時彼女らがやっていたのが『どうぶつの森+』だった。
 村に4プレイヤーまで同時に住めるようで、住民は父・母・姉・妹の名で登録されていた。私はその、家族みんなで架空の世界に住めるという点に、無性に惹かれた。
 姉がいとこにコントローラーを貸してもらい、テレビの中を駆け出した。私は姉の手元とテレビを交互に見る。姉がスコップを持ち、地面の、なにか印のあるところを掘り起こすと、かせき、という良さげな何かが、ほっほーい、と出てくる。すぐにポケットにしまわれる。え? 今のなに?? 姉はまた駆け出す。なにも理解が追いつかない。
 ウチにもやらせて! と何度もせがみ、やっとのことでコントローラーを貸してもらえた私は、さっきの姉と同じことがしたかった。でも、幼い私は、雑草と地面の亀裂の見分けがつかず、何度も雑草を掘り起こした。おかしいな、さっきは何か出てきたのに、なんで自分がやったら何も起こらないんだろう。躍起になって地面を掘り続けていると、なにやってんの、と呆れられ、すぐにコントローラーを回収された。まだテレビゲームをするには早いと思われたのだろう。それ以降コントローラーが回ってくることはなかった。

 横で見ているだけでも楽しかったが、自分であれができなかったのが悔しくて悲しくて、両親に、すごいゲームがあるのだと力説し、四人家族みんな楽しめるのだと、多分そんな感じで訴えた。しばらくして、誕生日かクリスマスかお年玉か何かで、うちの家にもゲームキューブが来た。それ以来、私はずっとどうぶつの森が好きで、自分の一部を並行世界にあずけるようにして生きてきた。

 いとこの家に行くのが好きだったのは、私が最初に出会った異世界だったからだと思う。家でのルールは適用されず、楽しいだけの時間がそこにあった。俗世から離れたい願望。どうぶつの森も、それを叶えてくれるゲームだった。
 プレイヤーはどうぶつが暮らす村に移り住み、気ままなスローライフを始める。多くは語られないが、プレイヤーもどこかから逃げてきたかのように見えた。クリアという概念はなく、何をしても、しなくても、同じように時は進む。まさに生活を楽しむゲームだ。

 2020年に発売された新作『あつまれどうぶつの森』通称あつ森の舞台は村から無人島に変わっているものの、プレイヤーが何も持たずにゼロから新生活を始めるという面は変わらず、むしろより一層、別の自分になって、自然のなか、何の責任も負わず、自給自足の生活をするという、一度は抱いたことのある理想のセカンドライフが体験できるようになっていると思う。
 あつ森は今までのどうぶつの森にない要素が多数加えられ、昨今の情勢による需要ともマッチし、一大ブームとなった。発売日からしばらくは、SNSでその名を聞かない日はなかった。
 世間が盛り上がる中で、私はしかし、苦しさを感じていた。

 今まで私は、どうぶつの森で、それはそれはのんびりと暮らしてきた。友達と遊んだりもせず、通信するにしても、ゲームキューブ時代は複数のメモリーカードを使って、DS時代は二つのソフトを使って自分の村を行き来していた。街の開発などにはさほど興味がなく、釣りをして、虫を捕まえ四季を感じ、住民と仲良くなり、手紙を出したり、村の行事を楽しんだりしていた。隠し要素を偶然見つけたときは大喜びし、何もなくても村を駆け回っていた。カブの仕組みもよく知らないまま、すぐに腐らせたりしていた。

 そんな生活は、ネットに出回る情報はわざわざ調べなければ知らずに済んだからこそ、できていたことだった。昔と違って、私の日々にはSNSが欠かせなくなっており、どうぶつの森プレイヤーも格段に増えた今、あつ森情報を避けることのほうが困難だった。
 日曜朝にはカブ価がツイッターのトレンドに入ったり、マイル旅行券が取引マネー代わりになっていたり、疑似タランチュラ島の作り方や、住民厳選という言葉が嫌でも目に入ってくる。島の評判を上げたらもう「やることがなくなった」という人もいて、自分のプレイスタイルとのギャップに衝撃を受ける日々だった。

 楽しみ方は無限大で、人それぞれ好きなように生きられるのがどうぶつの森の良さなのだから、誰も何も間違っていない。自分は自分なりの生き方をすればいいのだ。そう理解していても、毎日少しずつもやもやが溜まっていくようだった。

 なぜなら、今まで完全に現実世界と切り離された世界にあった私のどうぶつの森が、社会と密接に関わる場所へと姿を変えてしまったからだ。社会からの逃げ場が、社会の遊び場となり、第二の社会が形成されていく。私だけの楽園がどこにもなくなってしまったような感覚があった。大げさかもしれないが、どうぶつの森をもう一つの自分の世界とまで感じていた私にとっては死活問題だった。
 島クリエイトという、無人島を自分好みに変えられる機能が追い打ちだった。ネットに公開されている豪華な島がたくさんあって、自分の、何も手を加えていない島が、急に恥ずかしくなった。自分の生き方が恥ずかしいなんて、考えたこともなかったのに。島に果物が二種類しかないことを、友達に笑われ、憐れまれたことも悲しかった。確かにもったいない使い方をしているのかもしれないが、私はこれまでどうぶつの森で、たしかに幸せに暮らしていた。

 ブームも落ち着いてきて、だんだん自分のペースを取り戻せるようになってきた。しかし、周りが楽しんでいる期間限定のイベントをスルーしてしまうと、なんだか損したような、悪いことをしたような気分になってしまう。
 はやく悠々自適などうぶつの森生活を取り戻したい。

Written by Izumi Nakamura
Copyright LagonGlaner and Author

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