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「じぶん(のちから)で考える」とはどういうことか

「じぶんのちからで考える」について、すこしだけ考えをまとめました。

「なんでカップのほうを紙にしないんだろう」 - じぶんの知っているところまで行くことがスタート地点

「マックはさ、ストローふつうだね」「ああ、スタバは紙だしね」「なんかあれ嫌なんだよね」「わかる、口のなかが変っていうか。なんでカップのほうを紙にしないんだろう」「うーん、なんでだろう、できないんじゃない?」。

マクドナルドで食事をしているときに、ひとつはさんで隣の席の中学生がそんな会話をしていました。

このときはすぐに話が切り替わってしまいましたが、もしかしたらどちらかの子が「考える」かもしれません。家に帰るまでの電車のなかで、家族と晩御飯を食べているときに、お風呂でアマプラを見ているあいだに、夜になって寝るさいに、なんでスターバックスコーヒーはカップではなくてストローを紙にしたのかについて。

うなってもうなっても、「知らない」からわかりようがありません。でも、なんでだろうと思って、「いまのじぶんにはわからない」と答えを出せたときから、そのひとは飲食店と紙ストローの問題についてじぶんの知識の切っ先に立ったことになります。

そのうち、どういった順序になるかは未知ですが、スターバックスコーヒーが環境問題を意識してきたことを知るかもしれません(Green Retail/ESG評価/SDGs)。

外資というかたちでアメリカ本社やアメリカの状況に影響を受けていると知るかもしれません(日本法人の進出形態/ウミガメプラストロー問題)。

紙ストローは緊急性がありましたが、カップについてはサプライヤーから多様な提案があって綿密に検討しているかもしれません(素材メーカー/バイオプラスティック)。

数年後に縁があって入社して内部情報に触れるかもしれません(インサイダー)。

友だちの親が本社の役員でいろいろ聞き出せるかもしれません(クロウニイズム)。

考えることは運動 - 知と無知をわけた上で行き来すること

なんにせよ、いまじぶんが知っていることと、いまじぶんが知らないことをわけることができて、それを結びつけたり、行き来させたりするところに「考える」という行為があります。

「じぶんのちからで考える」というのは、そういった運動です。右足を出して、左足を出して、ようやく歩くという動き、歩行運動になるように。じぶんのちからで考えるというのも、じぶんの知識の切っ先に立って、知と無知をわけて、行き来して、つなげて、というふうに運動することです。

学校や大学で習うことは、その準備運動のようなものです(準備運動もとても大事です)。

「じぶんのちからで考える」の限界

知っているところまで行って、じぶんの知と無知をわけて、行き来して、結びつけてという運動にも限界があります。

まずはスパンが長いこと。考えるには時間がかかります。すぐに正解しなければならない瞬発的な状況には不向きなことがおおいです。たとえば、新しく入った職場で整理整頓をしなければならないときは、(じぶんのちからで考えたりせず)まずは正解の位置を先輩に教えてもらったほうがよいでしょう。

次に、けっきょくは偏見(バイアス)であること。むすびつけていけばどこまでもどこまでもじぶんのちからで考えることはできますが、どこまでもどこまでも、じぶんのなかでつながった知と無知のみが資材になります。気をつけていても偏ります。偏らないようにしたいなら、むしろじぶんのちからで考えることは遠回りだと言いたいです。

そして、おおくの状況で表面的な協調性を失うこと。ここまでのふたつの内容について、あふれんばかりの悪意をもって要約すると「じぶんのちからで考える=長い時間をかけてせっせと偏見を磨くこと」と表現できてしまいます。

そういう事情もあって、平均的な市民像から離れていくリスクもあります。学校、家庭、勤め先などでそつなく会話しなければならないときに相槌操作がバグったりします。できるだけ平均的な道をバグらずに進みたいひとには、「じぶんのちからで考える」をあまりおすすめしていません。

「じぶんのちからで考える」の有効活用

一方で、すごく役立つときがあります。

ひとつに、だれも教えてくれないことを知ることができます。まわりを調査しても答えが落ちていないというときもありますね。それっぽいものを代替できることもありますが、できないときもあって、そういうときは「じぶんのちからで考える」の出番が近いです。

よくあるのが「進路決定」でしょうか。高校生のときの私は、考えるちからがなかったので、「数学が苦手なひとは文系に進む」という既成のアイデアで代替できそうだと思って飛びつき、大学の方向性を決めました。

後になって、あの場面で「じぶんのちからで考え」なかったことは正真正銘のミスだなと感じるようになりました。既成や代替ではなく、じぶんのための答えを出さないといけなかったともどかしくなります。

もしあのときのじぶんに「じぶんのちからで考える」勇気があれば、じぶんの進路についてなにを知っていて、なにを知らないのか分ける作業に取り組めたでしょう。学びたい学問分野、行ってみたいゼミ、風土、学費制度、卒業生や学閥、もっと知ることができました。

ほかにも「じぶんのことをじぶんのためにじぶんで決めないといけない場面」はいくつもあります。そんなとき、まわりのアドバイスは「答え」ではなく「ヒント」になります。答えだと思って飛びついても、そのひとは責任をとってくれないし、責任をとらせるのも違う気がします。

「じぶんのちからで考える」ことができれば、逆に、あらゆるものがヒントになります。すべてのアドバイスやストーリーに感謝しながら、すべて踏み台にして、じぶんの飛びたかった空を飛翔することができます。

最大の実践方法は「書く」こと

書くことは、「じぶんのちからで考える」を支えてくれます。なぜなら、知っていることしか書けないからです。知っていることしか書けないのに、知らないことをもっと書きたいと思うから、無知の先に手足をかけようとするものです。

私自身、この記事をここまで書いて「あ、じぶんは、じぶんのちからで考えるについてこれっぽっちしか知らないんだな」と理解したところです。下に書いた参考文献が教えてくれたことと、じぶんの体験と、うまく思いついたデメリットを混ぜたぐらいです。

それでも、まだ考えたことなかったひとにとっては役に立つかもしれないから、未熟でも恥ずかしくても公開しようと思います。いつもそうです、そういう気持ちです。

参考文献

ジル・ドゥルーズ『差異と反復』。

Comment faire pour écrire autrement que sur ce qu’on ne sait pas, ou ce qu’on sait mal? C’est là-dessus nécessairement qu’on imagine avoir quelque chose à dire. On n’écrit qu’à la pointe de son savoir, à cette pointe extrême qui sépare notre savoir de notre ignorance, et qui fait passer l’un dans l’autre. C’est seulement de cette façon qu’on est déterminé à écrire. Combler l’ignorance, c’est remettre l’écriture à demain, ou plutôt la rendre impossible.

知らないことや適切にわかってないことについて書く以外に、どのようにして書くというのだろうか。まさに知らないことについて言いたいことがあるとさえ思える。私たちは、じぶんの知っていることの切っ先でしか書けない。おのれの知と無知を分けて、そして分けた知と無知を通わせてはじめて、私たちは書くことを決するのである。無知を埋め合わせるというのは、書くことを明日に延期するというよりもむしろ書くことを不可能にすると言える。 ドゥルーズ『差異と反復』(財津理氏の訳を参考にしながら筆者拙訳)

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author

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