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正解がないことが正解なのかもしれない

〜ファンドレイザーという仕事の経験から〜

物事には何かしらの正解がある方が良いのかもしれない。

正解があればその正解に向かってただただ進めばよくて、迷う必要がなくなる。でも現実の世界は、そんなに簡単に正解なんて導き出せないもので。

正解がないことが、世界にはいっぱい溢れている。


ファンドレイザーという仕事をしていたことがある。その仕事に就くまでは、全く聞いたことがなかった仕事だ。無職で仕事を探していた時に、登録していた求人サイトからスカウトのメールが送られてきたのがきっかけで知った。

「ファンドレイザー募集」

見慣れない仕事名に興味を持ち、気付いたら応募していた。その後、面接を受けたら通って、あれよあれよという間に、ファンドレイザーとして働くことになった。

ファンドレイザーとは簡単に言えば、NPOやNGOの活動資金を、代行して集める仕事である。やり方は様々あるだろうが、ぼくがやっていたのは街頭で寄付を集める仕事だった。

警察に許可をもらった場所で、道ゆく人に声をかけて、立ち止まってもらう。

「貧困な国で生まれ育った子供たちがいます。」
「紛争や内戦が続く地域にもかけつけ、人道支援を行っています。」
「あなたの寄付で救える命がたくさんあるんです。」

そんなことを見ず知らずの人に伝えていく。1日にだいたい100人ぐらいに声をかける。ありがたいことに協力してくれる人も1日に1、2人はいた。多い時には5人ぐらい協力してくれることもあった。

一方で、NPOやNGOの活動に対して疑問を感じている人から、批判的な意見をいただくこともあった。

「この活動を続けても、根本にある問題は解決されないのでは?」
「海外のことよりまずは自国のことに目を向けるべきでは?」
「寄付したってお前らのポケットマネーになるんだろ?」

「そんなことありません!!」とはじめは強く否定していたけれど、冷静になって考えてみれば批判的な意見にも確かに一理あるわけで。

寄付だけで戦争が終わる、平和になるとはぼくも思わないし、海外のことよりもまずは自分たちの周りにいる人を助けたい気持ちはぼくも本当によくわかるし、集めた寄付が困っている人のもとに届くまでの全行程をずっと見ているわけではないので、誰かのポケットマネーになるかどうかはぼくには正直わからない。

そんな状態なのに、「あなたの寄付で救える命がたくさんある」なんて言葉を伝えていいのだろうか? そんなことを考えている内に「この活動を続けていてもいいのだろうか?」と思うようになっていった。

ファンドレイザーになるまでは、寄付を集めることはいいことと思っていたはずだ。それなのに、自分が寄付を集める立場になってみると、途端にその考えが揺らぐ。

「寄付活動は意味がない」
「偽善だ」
「戦争を助長している」

とまるでぼくらが集めている寄付は悪いものであるかのような、そんな言葉を聞くたびに、「自分がやっている活動は間違っているかもしれない。」と自分で自分を疑った。

次第に、仕事へのやる気も、仕事の成果もどんどん落ちていった。しばらくその状態で続けてはいたのだが、結局やめてしまった。

「どうしてぼくはファンドレイザーをやったのだろう?」

無職で仕事に困っていたことも理由のひとつである。スカウトをしてもらったからということもある。珍しい仕事で興味が湧いたのもある。でもそれだけじゃない。あぁ、そうだ、あの時のモヤモヤした気持ちがぼくをファンドレイザーという仕事に就かせた気がする。


昔、バックパッカーをしていた時にカンボジアでストリートチルドレンとサッカーをして遊んだことがある。何かのツアーでとかではなく、サッカーをしていた子供たちに「Together?」と拙い英語で話しかけて無理くり入れてもらった。

放し飼いされているツノが生えた牛がいる草原で、裸足になってストリートチルドレンたちと思いっきりサッカーをした。水たまりもあって、濡れた草がツルツルしていて滑る。全力でサッカーをしていたぼくは、何度も転んで泥だらけになった。

いい大人のぼくが思いっきり転ぶもんだから、子供たちは大爆笑。ぼくもその笑顔を見て、思いっきり笑った。全身牛のフンみたいな匂いがしたけれど、それ以上に嬉しくって、楽しくって、ぼくも思いっきり笑った。

ストリートチルドレンたちとサッカーをしたことは、その子たちのためになったのか? と考えてみると、そんなことはないのかもしれない。支援なんてとてもじゃないけど言えない。本当だったら、サッカーを一緒にするんじゃなくて、物を買うとか、一緒にサッカーをしてくれたお礼にお金を払うとかした方が良かったのかもしれない。

でもぼくはその子たちの笑顔が忘れられない。エゴなのかもしれないけれど、少しでも笑顔になってくれたことが嬉しかった。でもでも、本当にこれで良かったのかな? とモヤモヤした気持ちが残る。ストリートチルドレンに会った時にすべき行動とは? という問いに対する正解がその時はわからなかった。

そんな経験から、ファンドレイザーという仕事をやってみようと決めたように思う。人道支援をしている団体の手伝いができるのなら、それは正解なんじゃないか? と期待していた。サッカーを一緒にしてくれたあの時の子供たちのような人を助けられる! そう思っていたけど、実際にやってみたら、どうやらそうとも言えないかもと思い始めたのだった。

今でも、ファンドレイザーという仕事が、寄付活動が、正解なのか、不正解なのかはわからない。寄付を集めることや寄付をすることで確かに誰かの役には立てるのかもしれないけど、他にもっといい方法があるんじゃないの? と言われれば、確かにそうかもしれないと葛藤する。

ファンドレイザーをやめた今、ぼくはコンビニで買い物をしてできた小銭を少しばかり寄付するぐらいのことしかしていない。

そんな今の自分に対して、「もっと寄付とかしろよ」と思う自分もいれば、「少しでも寄付してるんだから偉いね」と思う自分もいる。正解なんてないのかもしれない。そう思うようになった。

寄付活動は正解だ! 寄付活動は間違いだ! と何かしら正解を決めてしまうと、新たな争いが生まれてしまう。お互いがお互いの正解をぶつけ合ってしまう。正解がわからないからこそ、何が正解か? を考え、どうすればいいか? と悩み、試行錯誤するのではないか。

モヤモヤした気持ちを無理くり晴らす必要はないのかもしれない。正解を無理くり決めてしまうよりも、正解がわからないモヤモヤを抱えたまま正解は何かを考え続けることが大切なのかもしれない。だから正解がないことが正解で、それでも正解を追い求めて、少しずつ進んでいけばいい。

そう思いながら、おつりでもらった小銭をコンビニの募金箱にチャリーンっといれてみる。うん、とりあえずはこれでいいのだ、きっと。

Written by Sato, Jumpei
Copyright LagonGlaner and Author

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