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クリエイティブに救われてきた

日常にあふれている「クリエイティブ」を見つけること。

クリエイティブに救われてきた

新型コロナウイルスのことを,書きあぐねていました。今までの「世界」を大きく変えてしまったウイルスは,私たちの周りの「生活」をも,大きく変えていきました。そんな中で私はなにをしていたのかというと,ひたすら「自粛」と「在宅」をしていました。じぶん自身のことをインドア派だと思っていた私は,正直なところ「自粛」も「在宅」もそんなにつらいものだとは思えませんでした。ただじっとしているだけなんて,そんなに楽しいことはない,くらいに思っていたのでしょう。

そうこうしているうちに私の自粛在宅ライフが始まりました。さいわいにもパソコンさえあれば仕事ができてしまう私は,会社のサポートもあってか,特に問題なく「リモートワーク」をしていました。平日は今までどおり仕事をして,休日も今までどおり映画やドラマやアニメを観たり読書をしたりする。そんな「自粛」を続けていれば,いつか「今までどおり」の生活が戻ってくるだろうと,思っていたのです。

けれどどうやらそんなことはなさそうでした。今までは持てなかった「まとまった時間」を使ってコンテンツをとにかく消費し続ける「自粛」の日々が,なんだか楽しくなくなってしまったのです。楽しくないということはなかったのでしょう。ところがなにやら「焦り」や「虚しさ」のようなものを感じはじめていたことに,気づいたのです。

なぜこのような「焦り」や「虚しさ」が生まれてしまったのでしょうか。それはきっと,コンテンツをひたすら消費し続けている私が,どうやっても「視聴者」でしかなかったからです。世の中にはすばらしいコンテンツを作り続ける人はたくさんいるけれど,じぶんはただそれを視て聴いて消費するだけ。じぶんがいてもいなくてもコンテンツは生み出されていくし,それはじぶん以外のだれかが称賛する。じぶんはいてもいなくても変わらないんじゃないか。そういった事実から「焦り」や「虚しさ」を感じていたのでしょう。
 そしてこれは「在宅」での「自粛」だからこそ,生まれた感情でもあります。なぜかというと「画面を通して見た体験」というのは,多くの人にとって「(ほとんど)同じもの」だからです。旅行に行ったり,散歩したりして,風景を見たり,おいしいものを食べたり,いいにおいをかいだり「実際に体感する」という経験はそれぞれの人のものです。けれどいったん「画面」を通してしまうと,そこから見えるのは「たくさんの視聴者」からの景色でしかないように,どうしても思えたのです。

コンテンツを消費し続けることが楽しくなくなってしまった私は,どうにかしてじぶんもコンテンツを「作る」側,つまりクリエイターになろうとしました。けれど世の中にすでにたくさんあるコンテンツには,どうやっても敵う気がしませんでした。私のような素人では想像もつかないような時間をかけて「プロ」になった人が作り出すコンテンツに比べたら,じぶんの創作活動なんてちっぽけなものに見えたのです。
 そのくせ私は,ファンレター的なものを送るのも気恥ずかしく感じるタイプでした。コンテンツを生み出せないくせに,コンテンツを生み出してくれるクリエイターに感想を伝えることもできない。「自粛」をしながら,そういう「虚しさ」や「焦り」を感じていたのです。

そんな日々を過ごしていても,仕事はしないと生きていけないし,仕事をしても休日を過ごしてもおなかがすきます。「自粛」生活の前から料理をするのは好きだったのですが,もっとたくさん料理をするようになりました。ひとり暮らしだと,急に飲み会をしたり,そもそも夕食しか作らなかったりと,食材を余らせがちでした。余らせてしまうのは悲しいので,割高でもバラ売りの野菜や肉を買っていました。でも今はほとんど毎食料理をするようになったので「2, 3日で食べきればいいや」と考えられるようになり,野菜も肉も好きなだけ買えるようになりました。そして今までよりも料理が楽しくなりました。
 けれど,どうやらそれだけではないようでした。たしかに今までより料理に対する制約が減ったので,料理が楽しくなったのかもしれません。振り返ってみると,料理が楽しくなった理由には「クリエイティブ」があったのです。

「レシピを見て料理を作る」というのは,先に書いた「たくさんの視聴者のひとりとしてコンテンツを消費し続ける」こととは少し違ってきます。レシピそのままに作ることはできないし,最終工程で「味を調整」したり,材料を加えたり代用したりといった「アレンジ」をすることもできます。そういう「クリエイティブさ」を発揮できるということに,私は救われていたのだと思うのです。もととなるコンテンツがあったとしても,それをどう再現するかは私に委ねられています。コンテンツ自体をただ消費するのではなく,手順書をもとに「実際に体感する」ことができていました。それは「たくさんの視聴者」としてではなく,私自身の経験だといえます。
 料理という体験自体のクリエイティブさに加えて「私が作った料理」というのも「作品」のひとつだということにも気づきました。当たり前ですが,料理は食べるとなくなってしまいます。それも少しさみしいので写真を撮ってTwitterやInstagramにアップロードするようになりました。そうするとLikeしてくれたりコメントしてくれたり,やっぱりうれしいものなんです。
 「プロ」の生み出すコンテンツには敵わないかもしれないけれど,アマチュアはアマチュアなりに,他の人を楽しませられるんじゃないかと思うようにもなりました。それと同時に,今までは気恥ずかしかったけれど少しずつ「よかったもの」に感想を伝えられるようにもなりました。もちろんはじめはじぶんと同じような周りの「アマチュア」からなのですが。

こうやって考えられるようになって,私の「自粛」生活は少しだけ楽しくなっていきました。「自粛」なのだから別に楽しむ必要はないだろう,という意見もあるでしょう。けれど楽しくないものはなかなか長く続きません。この生活がいつまで続くかはわかりませんが,どうせなら楽しんでしまった方が楽だな,くらいに思うようにもなりました。

私の場合ではその「自粛」生活を「料理」と「クリエイティブ」が楽しみにしてくれました。けれどこれは別に料理でいけなかったわけではないのでしょう。たまたまそうであっただけで,別に文章でも執筆でも写真でもYouTubeでも,なんでもよかったのかもしれません。プロにはなかなかなれないかもしれないけど,これからもアマチュアとして,じぶんも楽しみつつ,周りも少しずつでも楽しませていけたらいいな,と思っています。

Written by studio_graph
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