
新たにことばを知るということ 「なるほど」の魔法
こんばんは。龍山香名です。ことばを知ることについて。
ことばを知るというと外国語を知るという風にも読めるのですが、今回は外国語に限定しません。むしろ母国語、つまり日本語がメインです。「語彙」と呼んだほうがより端的に伝わりそうな気もしますが、ここでは頑なに「ことば」と呼びます。そっちのほうが響きが好きだからです。
新たにことばを知るというのは、ある条件下においてはとても感動的な瞬間です。その条件とは、「そのことばが意味するものに関するぼんやりないしはっきりとした感覚を持っていること」です。
たとえば、まったくわからない、そんなに興味があるわけでもない分野のことばを知ってもたのしくないでしょう。触れてもすぐに忘れます。いかんせんそういう対象なので例が出せないのですが、とにかくそういうわからないものです。
最近、「射幸心」ということばを知りました。これは楽して(強運によって)しあわせになりたい恵まれたい、というような人間の欲求のことです。多かれ少なかれ私たちはそんな欲求を持っていると思います。冗談で言っているのはわかっているのですが、たとえば一時期流行った「5000兆円欲しい」「石油王と結婚したい」などが近いと思います。これらが流行ったあたり、ああたしかにというある程度の共感を大勢がしたんだと思います。より身近な例でいうと、賭博はまさにこれです。一攫千金、棚からぼたもち、のような感覚でしょうか。
私は「大多数のひとはきっと楽して利益を得たい」というふうに、特に主張したくなったり調べたくなったりするほどではありませんが、ぼんやりとそう思っていました。たとえば長時間勉強したくないけど試験には受かりたいとか。最初からほぼ知っている内容のものなら問題ありませんが、知らないもののほうが多いのならばやはり時間を割くしかありません。それでも、少なければ少ないほどいいという欲はあると思います。私はあります。私の場合は勉強しないことへの不安に負けて結局やってしまうため見た目にはわからないかもしれませんが、しっかりあります。正直、勉強時間ゼロで試験に受かりたいです。
ちなみに、これは「射幸心」を知った今だから「大多数のひとはきっと楽して利益を得たい」とことばにあらわすことができています。それまで、ことばとして口に出したことはありませんでした。私は、前よりも少し話せることが増えたのです。
「射幸心」には他にも、最近だと「他のひとよりも恵まれたい」というような使い方がされたりもするようです。これもよくわかります。最近あまり聞きませんが、「俺TUEEEE」と揶揄されるあれなんかまさにそうですよね。誰よりも強く、誰よりもあっさり敵を倒せて、誰よりも尊敬されるひとになりたいんです。
「射幸心」は初めて触れたことばでしたが、自分の中にそれを意味する考えはぼんやりとありました。調べてみて意味を知ったときに「なるほど、たしかに」となったときのうれしさは非常に大きいと感じます。それに、そういう感覚や考えを持っているのは自分だけではないのだなという安心感を得ることもできます。わざわざことばになっている(しかも調べたら意味が出てくるような)のですから、少なくともそれなりの人数がその感覚や考えを共有し、それに対して名前をつけようとしたことになります。
ひとはみんなぼんやりとした考えをある程度は持っていると思います。そもそもうまくことばに落とし込めていないから検索もできない。しかし、いざそのことばに出会うと雷が落ちたようにハッとする。それらは形を得たのです。今や私はそれについて話すことができます。
ことばを知ること、何かに興味を持つこと、それは世界の解像度を上げることです。ぼやぼやしていた世界に目にとまるものが増えていって、見えるものが増えていきます。これってけっこううれしいことではないでしょうか。見えていなかったものが見えていくんです。
私は何かひとつだけに集中して興味を持つことが非常に下手です。今後もずっとできないと思います。日々の生活の中で見えるものが増えていくのは興味がさらに分散していく原因になりますが、それはつまり日々が輝きを増すきっかけになっているということです。興味が増えて手が足りなくなるのは悲しいことではあります。どれもこれも中途半端になってしまうので。でもたくさん興味があると、いろんな分野のいろんな情報をキャッチできるようになり、広く浅く、きらきらしたものを日々の生活に詰めることができます。
これは私がどうしてもひとつの興味に絞れないのを正当化している面もあります。やっぱり、ないものねだりなのかもしれませんが、ひとつのことに集中できるのはとても憧れます。
もし少しでも複数のことに興味を持ってみようかなという気持ちがありましたら、ぜひことば探しをしてみてください。それは誰かと話しているときに出てくるものだったり、本から出てくるものだったり、近くにいた知らないひとたちのおしゃべりから出てきたりします。日本語ではないかもしれません。いつどこでそのことばに触れることになるかはわかりませんが、「そのことば、よくわからないな。」となったときにちょっと調べてみる、それだけで世界の解像度はぐんと上がります。
単語の例ばかり挙げましたが、別に単語に限定する必要はありません。とどのつまりは表現です。目の前にあるものをどうことばにするか、ということなのです。
受け身でもいいんです。目の前にやってきたことばにちょっとだけ興味を向けることは日々を輝かせるお手軽な手段です。ぜひ、ちょっと調べてみてください。
でももし、自分から世界の解像度を上げてみようかな、という気持ちがちょっとあったら、それに最適なものがあるので、ぜひ見てみてくださいね。偶然に身を任せましょう。
それでは、今回もここまで読んでくださりありがとうございます。今日も一日、おつかれさまでした。
「ラゴン・レキシク Lagon Lexique」は、ことばとの出会いを大切にするランダム語釈表示サービスです。ふだんの生活では出会えないことばが収録。どなたでも無料なのであそんでみてください!


