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自炊というものの射程を追って - サッポロ一番みそラーメンに食指が動くかどうかで一喜一憂したい

タイムイズマネーじゃない自炊について

さいきん、なにが自炊でなにが自炊ではないのかわからなくなってきました。

そもそも自炊はじぶんでご飯をつくることだと、深掘りせずとらえていましたが、どこかひらべったい概念だとも感じていたんですね。だからもっと考えなくては、と思いました。つまり、私は自炊しているときになにをしているのか、というのを追ってみようというわけです。

ふだんの生活で食欲に異常を感じたことはなく、二食から三食ぐらい食べます。まずは「食べたいもの」と「いまの資源でつくれるもの」が検討されて、とくに冒険せず保守的なメニューに決まります。たとえば、食べたいものが「ジャンク(大味)」で、資源が「調達可、調理はシンプル系まで」だったとしたら、だいたい豚バラ肉を買ってきて、焼肉のたれで焦がして焼くことになります。

そこにビバレッジをつけたくなったら、水道水、ドクターペッパー、アイスコーヒーなどを買ってきたり、備えてあれば出して飲みます。スジャータのいちごのやつに無調整牛乳をまぜて、いちごジュース的なものを錬成することも。

ひとりだと作業しながら食べ、だれかと食べるときは対話し、おなじ映画や番組を観ながら食べるときもあります。ランチョンマットはクリーム色の食卓ボードだったり、コルクの四角い板だったり、デスク直置き・マットレス直置きだったりする。

料理も食器を洗うのも好きなので、前後の洗い物もまったく苦ではなく何人分あっても気にしない。ときどき溜まることはあります。流しが汚くなることもあるし、ネットを交換したり、生ゴミ処理したりするのは多くて一日に一回ぐらいです。

キッチンが狭いので満足いかない出来になることもあって、料理が「嫌い」に傾きそうになる瞬間もあるけれど、その完璧主義的な感情と向き合って堪え忍んだりするのも私にとっては自炊なんだと感じています。

ほかにもさぼてんでヒレカツ弁当を買ってきたり、パン屋で気の向くままパンを買ったり、ファミリーマートでツナマヨネーズのおにぎりを二つ買って片手で作業したり、いつも激空きのインドカレー屋でパソコンを開きながら作業させてもらったり、夜マックを意気込んだり、辛いのほんとうにダメなのに松屋の激辛カレーで自傷したり、そういう外食や中食を定期的に利用することもあります。

食器が欠けたり、箸のデザインが剥げたり、あんなにあった米がいつの間にかなくなったり、備えてあるチキンラーメンに毎日ドキドキしたり、ベストタイミングで食器洗い用のスポンジを交換できたときに優越感をおぼえたり、パウチカレーのうまさに毎度の衝撃を受けたり、冷蔵庫のなかで放置された残り物を申し訳なさそうに処分したり、時短のために冷凍してある野菜やお肉があまり機能しなくて逆に献立のノイズになってしまったり、そもそも調達のときに冷蔵庫や冷凍庫にあったっけと記憶力のなさに自己嫌悪したり、ニトリで調達してきた食器がやっと戸棚でなじんだことをよろこんだり、時間を惜しんでガス火を消し忘れてピピピと指摘されたり。

それらすべてが自炊ということばに回収されてひらべったくなっていくことに、わずかばかりの寂しさを感じます。

自炊の是非を議論したいひとたちは機会費用の損失という概念を持ち出しますが、それは自炊の矮小化だと思います。外食のほうがトータルで得とか、自炊のほうが食費が安く済むとか、エコノミックな話になりがちです。私自身、タイムイズマネーという発想がゼロではないので、そういった議論に乗っかってしまいそうになるときもあります。たしかに時間を大切にするのは大事です(私もよく時短を試みます)。ただ、自炊経験のあれやこれを薄っぺらくしてまでタイムイズマネーを唱えたくはないのです。自炊の経験というのはとてもいきいきしていて、その経験の価値は時間では測れないなあという実感をたどりたくて、自炊を考え直してみました。

わるくない、むしろいい。私は生活が好きで、たぶん、シンク下に忍ばせてあるサッポロ一番みそラーメンに食指が動くかどうかで一喜一憂したい。「つかれたあ、今日はサッポロにするか、んーいや、今日は餃子にしよう、中華だぜ、あ、でもつくるのだるいからセブンのやつにしよう、あれマジでうまいし、とりあえずご飯だけ炊いとこ、醤油まだあったっけ、先週買ったばっかだ、飲み物は水と、あとなんか炭酸系とか買うか、いやジュースつくるか」という一連のめでたい思考回路が愛しい。なににするか、どっちにするか、どこからどう調達するか、調理方法はどうするか、自炊のなかでじぶんの問いに答えていくことで昨日のじぶんと今日のじぶん、朝のじぶんと夜のじぶんがまったくちがうことを知ります。めんどうなこともあるけれど、それ自体が幸福だ。

Written by Aisaka, Chihiro
Copyright LagonGlaner and Author

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