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生活をやめたくなったときには

楊黒葉

あらためて生活とは何だろうかと考えてみましたが、生活を定義するのは難しいですね。とある一日を考えてみましょう。朝の冷たい空気を味わうこと、紅茶に入れるミルクの量を考えること、書類をつくること、音楽を聞くこと、好きな人について考えること、嫌いな人について考えること、その日の出来事をお酒とともに思い返すこと。私たちが日頃行っている、これらすべてが生活です。
 毎日の愛しいことがら全てを書き尽くすには、当然ながら一生あっても時間が足りません。居酒屋での一夜の出来事を小説として書くのに、あのジェイムズ・ジョイスをもってして十余年を必要としたのです。いわんや我々凡人をや、です。
 なのでここでは、生活と生活でないものの境界についてだけ、生活をやめたくなったときの処方箋だけを書きましょう。いかにうるわしき世界、うるわしき生活とはいえ、時には生活をやめて死にたくもなるものです。そういうときに私が何をしているか、お話しさせていただきます。

私の家には祭壇があります。厳密な意味での、宗教学者が見ても及第点をくれるような祭壇ではありませんが、私はそれを祭壇と呼んでいます。私が思う聖なるものがごちゃまぜに置いてあるのです。教会音楽の奏法を記した羊皮紙の楽譜、鎌倉時代の書法と思しき写経の断簡、後光を放つかのようにひときわ美しい金線の入ったルチルクォーツ。そしてそれらの隣に、「死にたいときセット」があるのです。
 「死にたいときセット」は3つの宝物からなっています。死にたいときにはまずこれを使って、落ち着いてから改めて死について考えるのです。
 まずはシングルモルト・ウイスキー。私の一番好きなお酒です。今では入手困難になった、とある蒸留所の40年もののウイスキーは絶品です。今では味わえない40年前の麦、水、樽木から作られたその味わいは、年をとることの良さを思い出させてくれます。今から40年前の味もいいように、40年後のお酒の味わいもきっといいものだ。そう考えて我にかえるケースが大半です。
 次は100万円の札束。美酒という詩情ではキャッチできなかった希死念慮は現ナマで解消しましょう。豪遊です。タクシーで銀座エルメスに乗りつけてハイブランドを買い漁ります、グランメゾンで宮廷料理を楽しみ、高級ホテルの夜景を楽しんでバーに繰り出す。俗っぽいですが、ウイスキーでは救えなかった死にたみでも経験上これで溶かせるのです。こうして私は今まで生きのびてきました。
 そして最後。まだ使ったことはありませんが、大量のトラベルミンとアタラックスP。どちらも二階堂奥歯さんが常備していたお薬です。ODしたら死ねるやつですね。二階堂さんのうつくしい言葉を借りると、「街角で、一箱650円で買える私のお守り」「自分を殺して赦してもらうための私の免罪符」です。今よりもっと生きにくかった思春期に、この蠱惑的な響きに魅了されて求めたものです。これがあるだけで「死」が可視化され、ありありとした現実として迫ってくるのです。これがあるおかげで軽率に衝動的に死ぬのではなく、生活をやめたくなったときでも生の是と非をきちんと弁え、自分がほんとうに生をやめたいのか、突き詰めて考えられるようになりました。いつでも死ねることで生の大切さを際立たせる、生きるためのOD薬です。とはいえ、明日にもこれを服用したくなる未来がくるかもしれませんが。

これが、私が生の彼岸に跳び出さないようセーブして、日々の生活を送らせてくれる宝物です。

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