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Religion & Life

麦谷那世

なかなか人に会えない日々ゆえだろうか。
 もう会うことのなくなった人たちの記憶が、日常のふとした瞬間にほろりとこぼれ落ちてくる。

子どもの頃、自宅から徒歩50秒ほどのところに住んでいる国際結婚のご家族と付き合いがあった。
 夫はアメリカ人、妻は日本人、そしてハーフの3姉妹。ホームパーティーやら小旅行やら、イベントの思い出は無数にある。
 親同士でどのような取り交わしをしたのか、わたしと姉は五十円玉を握って長女にネイティブの英語を習いに行っていたし(思えばひどい搾取のような……)、三女とは同じ中学校の美術部員同士でもあったりした。父親同士は共にロッキー山脈に登るほどの親交があった。
 自分の英会話力やグローバルな視野の基礎は、彼らによってもたらされたものだと思っている。

一家と車で移動しているときであった。海へ行くため、二台に分乗して男鹿半島へ向かっていた。海岸線の青をよく覚えている。
 母親が回してきたキャンディーをわたしが三女に渡し、それを口に含んだ彼女は突然それをベッ! とティッシュに吐きだした。

「これ、もしかしてコーヒー味じゃない!?」

そう、彼らには宗教があった。
 キリスト教の教典のひとつから派生したモルモン教(俗称)の信者であったのだ。
 彼らのいないところで母が教えてくれたことを記憶のままに記すと、モルモン教の信者は刺激物を摂ってはいけないとされており、よってカフェインの含まれているコーヒーや緑茶(!)は飲んではいけないらしいとの由だった。
 実際、彼らの食事やおやつのお供はいつだってジュースやコーラだった。

刺激的というなら炭酸の方がよっぽどそれにあたるのではないか。聖書をどのように解釈すればキリストが「コーラはいいけどコーヒーはだめよ」などと言ったことになるのか。たとえキャンディーでもだめなのか。

幼い頭の中は疑問符でいっぱいになったけれど、子どもというのは存外順応性の高い生き物で、わたしは彼らの思想や生活様式に意外にすんなり慣れていったのだった。

時は巡り、社会人になったわたしは最初の就職で超の付くブラック企業にあたり、いっそ稼ぎは低くとも好きなものを扱う仕事に就きたいと、書店業界に身を投じることとなった。
 最初の店舗で、先輩のひとりとプライベートで買い物やディズニーランドへ行く仲になった。おっとりした、でも意志の強い女性だった。

互いにその職場を離れてからも細々とメールを交わし、わたしたちは関係を確認し合った。
 あるとき彼女から
「麦谷さんに読んでほしい本があるの。送ってもいい?」
 とメールが届いた。
「ぜひぜひ送ってください」
 返信を打つと、数日後にずしりと持ち重りのする大判の書籍が届いた。
 開封して驚いた。聖書だったのである。

驚くべきというかなんというべきか、彼女もモルモン教徒であった。
 仕事を辞めたのは布教活動をするためです、と後に届いたメールに書かれていた。

そうかそうかそうだったのか。
 先輩も「刺激物」の摂れない生活をしていたのか。たしかにコーヒーよりジュース党だった。
 他にもいくつかのエピソードが蘇り、すとんと腑に落ちた。

そういえば、あの三姉妹の次女は父の故郷アメリカに帰ってモルモン教の宣教師になったと聞いた。
 彼女と先輩がどこかで巡り合っている可能性に思いを馳せた。不思議な心地がした。

その後、わたしからも「おすすめの本」を先輩に郵送したところ、電話がかかってきた。彼女の透明な声が数年ぶりにわたしの内耳に響いた。
「ごめんね。わたし、聖書以外は読んじゃいけないの。でもぱらぱら見たよ。素敵だった。ありがとう」
 そうかそうか、そんな立場で書店のレジに立っていたのか……! またも衝撃を受けるわたしだった。

今、未曽有の感染症が世界を襲っている。
 自分の信じるものを広めて歩く清らかな彼女たちの生活が平穏なものであることを、無宗教のわたしはこっそり祈ったりしている。

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